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【読んだ気になれる】太宰治「東京八景」

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〈要約〉
太宰が東京で過ごした十年間を短編として綴る。
病死した兄と過ごした日々、共産運動、心中未遂、画家の友人と妻Hの不倫、パビナール中毒、井伏鱒二の助け、再婚、そして現在。
三十二という年齢に差し掛かった今、走馬灯のように駆け巡る東京の風景を青春の訣別として描く。

 

○解説
この作品は太宰のこれまでを綴った資料としても非常に面白く読める作品となっています。太宰はすぐ嘘をつくので完全にこれを信じるわけにはいきませんが、現在までの研究ではある程度事実との整合性が取れていることがわかっているので概ね信じても問題ないでしょう。
以前取り上げた又吉直樹さんの又吉直樹さんの『東京百景』はこれをオマージュしたものですね。

 

この作品は内容を大きく二つに分けることができます。
一つは絶望の時期、もう一つは太宰の再生です。


前半は太宰の生涯において最も暗かった時期のことが綴られています。特に元妻Hの不倫は相当こたえたようでした。

太宰の妻Hは、太宰がパビナール中毒で入院している間に太宰の画家の友人と不倫の罪を犯してしまいます。
太宰は地獄のような日々を送った病院からやっと退院する日、送迎の車の中でHと次のような会話をします。

 

「もう薬は、やめるんだね」怒っている口調であった。
「僕は、これから信じないんだ」私は病院で覚えて来た唯一の事を言った。
「そう」現実家のHは、私の言葉を何か金銭的な意味に解したらしく、深く首肯いて、「人は、あてになりませんよ」
「おまえの事も信じないんだよ」
Hは気まずそうな顔をした。

 

この後太宰は無理をしながらも再び元の生活に戻るのですが、ある日画家の友人本人から不倫の事実を聞かされてしまいます。

 

ごく親しい友人であった。私は話を聞いて、窒息しそうになった。Hが既に、哀しい間違いを、していたのである。あの、不吉な病院から出た時、自動車の中で、私の何でも無い抽象的な放言に、ひどくどぎまぎしたHの様子がふっと思い出された。

 

この後太宰はHと共に心中を図ろうとしますが、結局二人は死ぬことができず離婚することになります。この時点で太宰はかなりの人間不信に陥り二年ほど作品も執筆せず空白の期間ができます。

ここまでに書かれた作品は太宰作品において前期作品と位置付けられるのですが、やはり内容も暗いものが多いですね。ただ研究対象としては太宰の心情や背景が強く反映されているので研究しがいがあり太宰研究の中で盛り上がっている分野ではあります。

 

遺書を綴った。「思い出」百枚である。今では、この「思い出」が私の処女作という事になっている。自分の幼時からの悪を、飾らずに書いて置きたいと思ったのである。

 

死に切れなかった。その「思い出」一篇だけでは、なんとしても、不満になって来たのである。どうせ、ここまで書いたのだ。全部を書いて置きたい。きょう迄の生活の全部を、ぶちまけてみたい。

 

「晩年」と書いた。その一聯の遺書の、銘題のつもりであった。もう、これで、おしまいだという意味なのである。

 

上記にあるように「思い出」を含む『晩年』は太宰の前期作品として非常に研究しがいのある作品ばかりです。どれも内容は暗いので、一般的な太宰のイメージと近い作品が集まっていると言えます。
因みに以前取り上げた「彼は昔の彼ならず」「列車」も『晩年』に収録されています。

 

絶望に暮れる日々の太宰でしたが、あるとき転機が訪れます。

 

何の転機で、そうなったろう。私は、生きなければならぬと思った。故郷の家の不幸が、私にその当然の力を与えたのか。長兄が代議士に当選して、その直後に選挙違犯で起訴された。私は、長兄の厳しい人格を畏敬している。周囲に悪い者がいたのに違いない。姉が死んだ。甥が死んだ。従弟が死んだ。私は、それらを風聞に依って知った。早くから、故郷の人たちとは、すべて音信不通になっていたのである。相続く故郷の不幸が、寝そべっている私の上半身を、少しずつ起してくれた。

 

故郷の不幸により生きなければならないと思った太宰は師である井伏鱒二の助けの元、再び執筆活動を再開します。

 

こんどは、遺書として書くのではなかった。生きて行く為に、書いたのだ。(中略)「姥捨」という作品が出来た。Hと水上温泉へ死にに行った時の事を、正直に書いた。

この「姥捨」は太宰の中期作品転換への一作として一般的に認識されています。ここでは詳しく述べませんが、「姥捨」では前期で書かれたものとは矛盾する内容、または否定する描写が見られ、太宰の心境の変化を物語っていると言えます。
そして丁度この頃、太宰は井伏鱒二の紹介で生涯の伴侶となる妻、石原美知子に出会います。二人は気が合い太宰はこの結婚のことを後に井伏への手紙で「恋愛結婚をするのと変わりません」と述べており、二人の仲睦まじさが窺えます。

侘しい食事をしながら妻に言った。「僕は、こんな男だから出世も出来ないし、お金持にもならない。けれども、この家一つは何とかして守って行くつもりだ」その時に、ふと東京八景を思いついたのである。過去が、走馬燈のように胸の中で廻った。

 

再婚し新しい生活を得た太宰は職業作家として生きる決意をします。この頃に書かれたのが「愛と美について」ですね。それ以降は「駆け込み訴え」「畜犬談」「走れメロス」「美少女」といった商業らしい読みやすくて面白い数多くの作品が生まれます。

 

「東京八景」を書こうと思い武蔵野の風景を一つ数えようと思う太宰。しかし、「東京八景」は風景を芸術として描くものではありません。

 

芸術になるのは、東京の風景ではなかった。風景の中の私であった。芸術が私を欺いたのか。私が芸術を欺いたのか。結論。芸術は、私である。

 

太宰はその生涯を通して芸術について様々な言及をしてきましたが、これは彼なりの一つの芸術という課題に対する結論なのでしょう。

 

ある日太宰は友人の小説の後押しを頼むため、一度破門にもなった師である佐藤春夫の元へ訪れます。佐藤は太宰を迎え入れ、多くの話をしてくれたようでした。
太宰はそのまま佐藤と一緒に上野まで赴き美術館で開催されている洋画の展覧会に足を運びます。

 

私は一枚の画の前に立ちどまった。やがてSさんも傍へ来られて、その画に、ずっと顔を近づけ、
「あまいね」と無心に言われた。
「だめです」私も、はっきり言った。
Hの、あの洋画家の画であった。

 

この場面は太宰の「青春への訣別」の大きな一つだったのではないかと思います。暗澹とした自身の過去を作った要因の一つでもあるHとその友人。今はその友人の画を見てもきっぱりと言葉を発することができる余裕が生まれています。それは周囲の人々の支えがあったからこそであり、太宰自身もそのことを強く噛み締めていたのでしょう。

 

最後は妹の結婚相手のT君のお見送りで締められています。
太宰は兵の召集にかけられたT君に妹の安全は保証する旨を伝え、「安心して行って来給へ」と声をかけます。横にいたT君の父が「何を出しゃばっているんだ」という目で太宰を睨みつけますが、今の太宰はそれに物怖じする必要はありません。

 

人間のプライドの窮極の立脚点は、あれにも、これにも死ぬほど苦しんだ事があります、と言い切れる自覚ではないか。私は丙種合格で、しかも貧乏だが、いまは遠慮する事は無い。東京名所は、更に大きい声で、
「あとは、心配ないぞ!」と叫んだ。

 

暗く陰惨な風景から、徐々に明るく誇らしい風景に変わる自身、即ち「芸術」を描いた「東京八景」は、正に太宰治という一つの風景を見ることができる名作になっているのではないかと思います。

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ネムログ気になったのでライブドアブログからいくつか移行します。

趣味は読書(特に太宰治)、アニメ鑑賞(特に幾原作品)、京都観光。
京都には足繁く通っているので色んな情報を提供できたらと思います。

また、教育実習、学校教員(少しですが)を経験して思ったことも少し書けたら良いと思います。

現在はwebデザインを勉強中。
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