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自由と尊厳を超えて 著:バラススキナー 【本の街だよ読書して!】

nem11.95xem (3) 340 6 1

 

 

諸君、とんかつは好きか?

 

私は好きである。

 

今日も、ブランチにとある名店のとんかつをいただいた。

 

現代人の宿命。

悪いクセだと自覚はしているが、手元の情報端末にカメラ機能があるせいでついいつもパシャパシャやってしまう。

 

<きっと、これまでiPhoneで食事の写真を撮ることが私にとって良い結果を引き起こしてきたのだろう。>

 

そのせいだ。そうに違いない。

 

なら、私は悪くない。

だから、今日もパシャパシャやらせていただこう。

 

そういうわけで、本日も元々はとんかつを被写体にシャッターを切る予定だったのだが、皿が運ばれるとすぐその気が失せた。

 

見た目が映えなかったからではない。

 

<綺麗だった>からだ。

 

 

普段出会うとんかつの多くを(悪い意味を込めて)ますらおとするならば、親父のソレはたおやめ。

 

濃い目のきつね色で、痘痕のようなコゲを節々に浮かべた揚げ豚肉と違い、絹のようなパン粉に身を包む見事なとんかつであった。

 

 

「見た目は上々。

 

 

いや、しかし待てよ?

このような色のとんかつには以前にも何度か遭遇したことがあるが、決まって水っぽくまずいものだった」

 

 

小綺麗な女でも平然と人前で屁をかますようなら幻滅するように、絹の如きとんかつも味がダメなら揚げ豚肉の亜流、座標上のパラレルある。

 

「瑞々しいこととサクサクであることはトレードオフではないか?」

 

一瞬、<撮らない>理由が、<美への感嘆>から<まずさ>へと振れるかもしれない予感に襲われる。

 

 

 

 

しかし、杞憂であった。

 

 

シルクのようでいて、サクサクの美味なるとんかつを私は<感じた>。

 

そして、理由はどうあれそれを撮らなかった。

撮ることができなかった。

 

 

最後になると、その理由は本当のところよくわからなくなっていた。

 

 

 

さて、親父がそのような美しいとんかつを揚げられるようになった理由もまたわからないだろう。

 

調理器具、資金、材料、技術、人格、競争、才能、学習、ひらめき、

 

どれも必然的な理由としてはピンとこない。

 

 

というか、そのとんかつはある理由から生じた必然なのか?

 

 

美がある理由や方法で必然的に進化するなら、それだけを追求すればよいのだから、板前の修行などというのは殆どが無意味であるわけだ。

 

また、技術の進歩の恩恵もダイレクトに受けるわけで、今日のとんかつより明日のとんかつの方が明らかに美味いはずである。

 

しかし、世の中そんなに簡単ではない。

 

一つの理由から成り立ち、ひたすらその道を行けば解消できる課題や問題というのは数少ない、あるいは存在しない。

 

故に、未解決の問題は我々が滅びるまで残るし、また、道があろうがなかろうがそこを前進できる保証もない。

 

 

「ならば、とんかつの美味さについて論じる時に、調理器具をあげるのは不可能か?」

というとそれは違う。

 

何かについて「確定的なこと」をいう際に、取り得る立場は二つある。

 

 

一方は、「傲慢」。

 

例えば、人という「動物」や遺伝子について語る時のリチャードドーキンス。

 

「この世の全ては進化論<によって成り立っている>んだから、それ以外の理論は全部デタラメ。

信じる奴はミジンコ以下のバカ。

バカの話は聞こえない。

特に、宗教は無意味だから滅せよ。」

 

非常に傲慢である。

 

数多の純粋な神秘主義者もそのパラレルである。

 

黒焦げの揚げ豚肉、または生焼けの湿った揚げ豚肉も、まずいと言う奴がいなくなればそこに問題などないだろう。

 

問題がないということは、それはとんかつの課題解決、進化、存在意義などの全てを司る真理である。

 

しかし、出来損ないの揚げ豚肉かもしれないものをとんかつと称するのは傲慢の中でもまだマシなのかもしれない。

 

見た目は汚いものの実は美味かもしれないし、不味くても見てくれは良いかもしれないのだから。

 

 

その点、フロイトの理論はより傲慢である。

 

彼からすれば、蒸気や電気と同じような性質を持つ性的なエネルギーが人間の唯一の原動力であることは揺るぎない事実である。

 

その考えに基づいた治療で精神病が治らないわけがないのだから、良くならないと患者に言われようが

 

「デタラメなことをいうなこのエロ女が。

貴様は既に治っているのだ。」

 

と自信を持って言う。

 

実証性が無い上に、人の尊厳をも踏みにじる。

そんな最悪の機械論的人間観だと思う。

 

 

さて、傲慢に対して、もう一方の立場はというと、それは「諦める」ことである。

 

触らぬ神に祟りなし。

 

わからないものはわからないのだ。

 

ならば、わかることに注力しようではないか。

 

私は、この考えが 好きな のだ。

 

 

危うくとんかつの小話で終わりかけたが、好きな、で思い出した。

 

スキナー という心理学者。

 

 

心理学という学問のイメージは?

 

と聞かれると大抵の人は、深層心理とか、自己啓発とか、あるいはビジネス書に書いてある使える心理テクニックとか、メンタリズムとか、そのような像を思い浮かべるだろう。

 

異論もあるだろうが、それは誤りだと思う。

 

心理学とは、<外的刺激>を操作する実験から<生物の行動>を数的に記述し、予測、制御する<ためにある>科学である。

 

そして、それを忠実に行うのは学習に関する領域のみであり、それ以外はつまるところ曲学だとも言える。

 

例えば、短期記憶とワーキングメモリの違いは何かとか、ドアインザフェイスとフットインザドアは矛盾するとか、そういった話は「愉快なチンピラの歓談」である。

 

その点、スキナーは行動主義者であり、間違いなく本流なのだが、彼の出自は少なくともその畑の中においては相対的にチンピラだったようである。

 

彼の一番の功績は、「コンティンジェンシー」、和訳すると「随伴性」という概念に新たな息を吹き込んだことだろう。

 

その当時、行動主義者はパブロフの犬であった。

 

肉とベルの抱き合わせが、ベルに対するツバを生むのは脊髄反射からの直接的な派生であるが、

 

脳裡にいるパブロフの犬に対して、それを「条件反射」だと考える条件反射がクセになれば、四六時中、何を見ようが何をしようが犬と結びつくだろう。

 

かくして、世界の全ての振る舞いが条件反射だという条件反射が広まった。

 

「同じ親から生まれた子どもであっても、環境次第でホワイトカラーにも盗人にも育てることが絶対に可能である」という条件反射も生まれた。

 

 

 

サムスの中身は、宇宙人にとって気持ち悪いと不評だ。

 

 

宇宙人はきっと美醜の区別がつかない病気なのだろう。

 

人類にとっての美醜を区別できない宇宙人は<人類の世界>においては病気である。

 

 

とんかつ屋の親父の背後にはヘーゲルが不在であったが、スキナーの背後にはパブロフがいた。

しかし、にもかかわらず目が悪くならなかったようだ。

 

 

<他の人と目の見え方が違う>ことが病気なのか否かはさておき

 

コンティンジェンシーというのが

 

条件反射理論における

 

<無条件刺激-条件刺激>

 

の結びつきを示すものであり

 

それが機械的だと叛逆する者すら、<着せ替えパブロフのワンちゃん>に<人間性>という服を着せて悦に浸っていた時代において

 

彼の実験に基づく発見、というか発明である

 

<刺激→反応→結果>

 

という、三種の構成要素の集合である新たなコンティンジェンシー、「三項随伴性」と、それに基づいた行動の学習過程、「オペラント条件づけ」についての定義

 

 

これが、1940年前後のその畑においても<病気扱い>されずに、一石を投じるどころか隕石の如き衝撃を与えることができたのは掛け値無しに凄いことなのだろう。

 

同時に、その功績が他のチンピラ領域の多くの謎理論より優れた道具であり続けていることもまた凄い。

 

 

故に、現在、心理学を専攻していたり、また通信講座なりなんなりで勉強している人の多くはすぐにやめるべきである。

 

勉強したい人もやめておいた方がいい。

 

<役に立たない>から。

 

ほとんどの頁に「うんこ」とだけ印刷されてある教科書なんか読んでも<意味ない>でしょう?

 

 

 

さて、ようやく本題に入る。

 

「自由と尊厳を超えて」について。

 

実を言うと、私が読んだのは古い版である。

タイトルの時点で

 

「自由への挑戦」

 

というように、異なった翻訳をされていたのだが、<極めて単純な本>であるため、新版との間にある差異に関してそこまで神経質になる必要は無い気もする。。。

(生成文法を擁護するようなことを言うと、先日の言葉論と矛盾するわけだが、今日は今日の風が吹くのだから...。)

 

 

「行動主義者から見た、世界の問題点とオペラント条件づけに基づく解決策、そして理想像に関する記述。」

 

一頁目からおわりまで、全てがこれである。

 

 

 

行動主義者にとっては、

 

例えば

 

・精神は

見えないから扱えないし、仮にあっても行動の副産物であるからわざわざ扱う必要性がない。

 

・社会は

個人と独立した何かではなく、あるコンティンジェンシーを学習した個体群による行動の集合に過ぎないものであり、故に、行動主義的立場による設計、管理に反対する者の拠り所である社会の有機性など元々無い。

 

・自由とは

本質は、統制や束縛から個人が開放を目指し行う行為そのものであり、付随する感情的側面は副産物である。

また、物理的、社会的に統制や束縛を受けていたとしても回避的行為がなければそこに不自由はない。

 

・尊厳とは

少ない報酬と抱き合わせで与えることで、その強化子の強化機能を保ちつつ、資源を節約する働きがあるもの。

あるいは、何かの行為に対して過大な報酬が与えられた者から奪い、またあまりに過大な罰則を受けた者に慰めとして付与することで、社会の公平性を維持する働きがあるもの。

なお、尊厳が奪われるのを嫌うから我々は尊厳のために闘争するのではなく、尊厳がないと報酬の量や確率が減るから尊厳のために闘争するし、また奪われるのを嫌うのだ。

 

・懲罰とは

嫌忌的な刺激を与えることで問題行為を消せるという前提で与えられる罰のことだが、罰はある行為の傾向を消すことはできないため、例え罰を与えられようが、後に罰せられない環境下に問題行為が復活する可能性がある。

効用の点において比較すると、罰以外にも問題行為をコントロールし得る代替案は無数にある。

また「問題はそこではなく責任論だ」という意見について、あくまで悪いのは人ではなく環境であり、我々には何ら責任がないのでそちらの観点の方がおかしい。

 

・事物の価値は

その事物が持つ報酬としての強化効果、ないし損失としての罰則効果の言い換えであり、物自体は関係なくコンティンジェンシーのあり方による産物に過ぎない。

 

なお、貨幣の価値も、貨幣本位な意味での貨幣の仕組みよりも、個々人がその貨幣を用いて報酬としての機能がある何かしらの商品と交換できたことで買うという行動が強化されること、その総体が後ろ盾である。

 

・文化とは

ある構成員がその文化圏において存在するコンティンジェンシーに則り、行動した際に報酬が得られ強化されるから、その者達にとってそれが良いものだとされ、ワンセットで維持され続ける行動群の言い換えに過ぎない。

 

・人間とは

行動の獲得や決定に際して一切の権利を持たず、環境に誘導、統制され振る舞う非自律的な存在であり、かつ、それが元々の人間像である。

故に、不自然であるはずの<自由と尊厳を重視する伝統的人間観>の立場からこの科学的人間観を非難するのはおかしい。

 

 

こんな様子である。

 

久々に読むと疲れる。

 

 

さて、彼が<心>をブラックボックスにしまい、如此き主張をするという<行動>をとった時、果たして彼は傲慢だったのだろうか?

それとも、諦めていたのだろうか?

 

 

それは彼自身しかわからないのだが、前者ならこの本に関しても大真面目に書いたのだろうし、また、後者なら諦めの産物、「便宜上」というやつである。

 

 

私が、食い物の写真をよく<撮ってしまう>こと、及び今日とんかつを<撮らなかった>こと。

 

彼は、傲慢に

「それは、オペラントだ」

と答えるのか?

 

それとも、静かに

「それは、自発的なものだ」

と答えるのか?

 

 

なお、「オペラント」とは、日本語で「自発的」という意味である。

 

 

どっちだよ。

 

 

あ、傲慢なら

 

「撮ることと撮らないことを同列にするな!

行動しないことは行動ではないぞ!!」

 

と怒られるはずだ。

 

そう言うのならば、その<行動>から彼は傲慢な人物だと推測できる。

 

傲慢だからそう言うし、そう言うから傲慢なのだ。

 

https://www.amazon.co.jp/自由と尊厳を超えて-B・F・スキナー/dp/486110341X

 

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Comments from NEMber
姉崎あきか
2019-01-30 21:45:40ID:39874

好きな……スキナー( *´艸`) 参加ありがとうございました。
コメントが遅くなってしまってすみません。

スキナーを導くための壮大な枕話、面白すぎました(笑)。
物愚者さんの真骨頂という感じです♪ この記事でも<傲慢と諦め>や<信じるな>のテーマは変奏されていますね。
でもムダにみえる前半もじつは伏線。トリッキーだけど、ものすごく美しい構造だと思いました><

本編も面白かったです。スキナー、あまり詳しくなかったのですが、なるほど、徹底して行動のみをみる立場なんですね。スキナーを傲慢だと断じてしまう傲慢さに先手を打つように、すこし前の文章で「便宜上」の文字が! いろいろお見事ですv

継続的なご参加、ほんとうにありがとうございました。
どの本について語っても物愚者さんの色になるのが素敵です(*^-^*) これからも、どうかよろしくお願いいたしますv

物愚者
2019-01-22 00:02:38ID:30818

>>7zoesan::さん

個人的に文学肌じゃないのに、こんな文章になってしまうのはなぜなのでしょう

7zoesan
2019-01-21 23:35:03ID:30775

なんだろう・・きっとこれはファンだ。
文学作品を見ているような書評、伏線回収、そしてわかったようでわからない。

物愚者
2019-01-21 21:12:06ID:30484

>>YUTO::さん

スキナーは受かりますが私には無理ですねぇ...

YUTO
2019-01-21 20:36:31ID:30457

東京大学や京都大学に行ってたそうな雰囲気が漂います。

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