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超長期投資 〜子に財産を残すことは勝利か〜

nem13.10xem (7)
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2019-03-24 18:15:51
超長期投資 〜子に財産を残すことは勝利か〜

「子どもとは、個人が自己の存在を拡大させる手段である。」

 

昔読んだ本にはそう書いてありました。

https://www.amazon.co.jp/反体制の条件-1969年-山崎-正和/dp/B000J9OTRM

確かコレ。

 

自己の拡大こそ我々が生存する目的として考えると、個人が彼の行為によって自らの四肢が及ぶ範囲を広げること、つまり空間的な自己の拡大を達成することは可能であります。

ところが、その肉体には死という制約が課せられているため、どうしても時間的な限界が付き纏う。

 

それを克服し、第二の我を創り出すためのツールが子どもなのでしょう。

(子どもの人権を尊重する活動家が聞いたらくも膜下出血で憤死しそうな一節ですね。)

 

個人を究極まで求め続けた結果として、子どもに遺産を相続させるということがその人にとって勝利とか、成功といった意味を持つ。

まぁ、全くわからなくもないですね。

 

一方で、その追求が別の解として現れることもあります。

「死んだら終わりやんけ」という価値観。

 

こちらの答えにたどり着いた者からすると、超長期投資において勝利とされている「子孫の代で黒字となる」という状況は明らかに敗北ですよね。

仮に子孫がウハウハでも、自身がそれを経験していないのならその投資は負け戦だったということになるわけです。

 

不思議なのは、単純に考えた場合前者の価値観に「集団主義的である」というようなレッテルを貼り付けることができるところです。

私とはあくまでこの私であって、血縁者であっても所詮は他人です。

ドーキンス風に言えば、子どもは0.5しか私でないので、半分他人です。

養子なら0であり赤の他人です。

 

故に、そんな他人に対して遺産を相続させることを私の勝利と捉えるのは個人主義的ではないと言えますよね?

 

しかし、実際は個人主義の文化圏の方が遺産を子孫に残すことにこだわるようです。

 

バフェットの「最高のタイミングで買えた株式は、一生手放す必要は無い」という一言に関しても、たしかに複利で「私が」儲かるという意味もあるのでしょうが、後半部分に注目すると「子どもに受け継がせる」ことを前提としているようにも感じられます。

 

さて、日本人は集団主義であるとよく言われます。

個人的には、日本人は助け合いや協調といった性質を持つ国民である、という古めかしい集団主義的日本人像というのは虚像であり、何か別の定義を要すると思うのですが、とはいうものの、欧米型の個人主義では当然ないですし、そういう意味では何はともあれ「集団主義的」であると思います。

 

しかし、我々は死後、遺産を残すことに対して個人主義に生きる者ほど執着しませんよね。

 

例えば、老後の資産形成などについての話をするときなどは、まず自分たち夫婦の日々の生活が第一であり、遺産のことは二の次にしている節が見受けられます。

 

もちろん、結果的に残って、それが子孫に相続されることも多々あるわけですが、それはあくまで結果であって、主体的な産物ではない。

だからこそ、遺書を残さずに亡くなるケースが目立ったりするのではないでしょうか?

また、受け取る側としても、遺産というものに対して棚ぼた的な印象を持っております。

 

ところで、日本人が死ぬまでは集団主義的であるのに、死後については無責任であるという話に関して、説得力があると感じる説明として「それはあくまで消極的なものである」というものがあります。

これはつまり、顔色を伺って同調しないと村八分にされるから従っているというものです。

 

であるならば、死後の世界では世間体を気にする必要がないので、死が前提にある文脈においては無責任になります。

遺産を残さなかったことを墓前で子孫にとやかく言われようが自分は死んでいるので痛くも痒くもないというわけです。

 

日本に投資文化が根付かないとか、短期的な売買ばかりが目立つとか、そういう特徴の裏にはもしかしたら欧米型の個人主義的な自己の追求が行われないことや死後に対する無責任さという我々の性質があるのやもしれません。

 

集団主義(仮)に生きる我々はイズムとしての個人の追求にさほど興味がないので当然子どもを用いた自己の拡大にも動機付けられませんし、遺産や遺書を残さなかったことをその後どう言われようとあの世で平然と知らん顔ができるので、長期的な資産形成という行為自体が目的化しづらいのではないでしょうか?

 

なればこそ、「子孫の代で黒字化することは勝利だ」などと言われても到底納得できないわけです。

 

超長期投資は超文化的で超個人的な行為という話。

Comment
えっさん
えっさん
2019-03-25 12:44:22ID:88949

塩漬けになってるから超長期投資なえっさんは、超長期凍死ということでよろしいでしょうか?

物愚者
物愚者
2019-03-24 22:06:26ID:88701

>>7zoesan::さん

例えば、図書館なんかについても形式だけ輸入されてるんで、開架されていることがいかに重要かとか言われても全く響かないですよね。

同じように、西洋由来の市場とか、投資とか、契約というものも出来合い品を輸入してると思うので、今我々がやってる投資に神とか個人は潜んでいないのかなと。

江戸時代の先物取引とされる行為も、はたして「先物取引」なのだろうか?。。。

物愚者
物愚者
2019-03-24 21:56:30ID:88693

>>やそ::さん

そうですね。
今ある完全に個人に帰属する財産とかその相続というもの自体が海の向こうから来たものだと思うので、概念と仕組みだけが輸入されても溶け込みませんよね。

7zoesan
7zoesan
2019-03-24 21:21:57ID:88653

ふむふむ、納得します。
欧米では子供ベビーシッターに預けて、二人でデートなんかも当たり前ですし、まして川の字で寝ることなんてないですもんね。
生まれたときから個人主義が根付いている国との差か。

やそ
やそ
2019-03-24 20:57:57ID:88630

死人に口なし
敵であろうと死体に鞭打つなんてとんでもない
死んだらみんな神様ですしね。

と言うか、
氏神産土神その土地の神々の子孫を自認してる人たちにとっては、資産は相続するものではなく、歴史が始まってから未来永劫全てが滅びるまでもともと自分たちのものだから、
個人的に誰に相続するなんて発想が無いのでは?

死んだら我ら神々の資産は、その土地に住まう子孫みんなのもの。

物愚者
物愚者
2019-03-24 19:50:32ID:88587

>>オーウェン::さん

下調べをして賭けに出て勝つ > 堅実に増やす >適当にトルコリラと草コインに全財産ぶち込む

オーウェン
オーウェン
2019-03-24 19:47:24ID:88584

>>物愚者::さん
そんなイメージはあるかなと思いました。
強欲に求めすぎると失う。逆にこだわっていないからこそ引き寄せる可能性。

物愚者
物愚者
2019-03-24 19:27:57ID:88564

>>オーウェン::さん

あ〜、モンハンの剥ぎ取りの際に働く物欲センサーは無いと思いますが、資産運用に関しては高値掴みや投げ売り、あるいは投資詐欺に引っかかるという意味で過剰な物欲のせいで損な選択をしてしまう可能性あるので、ある意味やたらに触らない方が順調に増えることも確かに結構あると思いますね。

オーウェン
オーウェン
2019-03-24 19:18:42ID:88551

>>物愚者::さん
ちょっとややこしくてわからなくなってきた(笑)

>こだわらないからこそ遺産が増えている可能性がある
という所、私の説明に言葉足らずの部分があったかもしれません。

今資産があるわけではく、私が死ぬときに資産があろうがなかろうが私の知ったことじゃないと思っている。
からこそ意外と死ぬときには貯まってるんじゃないかという。

だから現時点では全然お金持ちじゃないし、死ぬときも無一文かも(笑)

物愚者
物愚者
2019-03-24 19:00:53ID:88540

>>オーウェン::さん

>短期投資こそが超個人的な行為である
普通に考えたらそうなんですよね。
だからこそ、「個人主義」っていう文化の影響が多大にあるのかなと。
というか、そもそも非文化的個人と文化的個人は異なるものだということなのでしょうか。

>こだわらないからこそ遺産が増えている可能性がある
うらやま。。。

この記事を書いた人
竿と玉。 潰瘍持ちの胃。 そんなに生きることに焦ってどうするんだい?