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【古事記入門】その35 成務天皇・仲哀天皇

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2019-04-08 22:33:09
【古事記入門】その35 成務天皇・仲哀天皇

ヤマトタケル編が終わり、今回取り上げるのは次なる大物:神功皇后に至るまでの地味な2代。
成務天皇と仲哀天皇です。

 

成務天皇

景行天皇の次は、第13代の成務天皇です。

この人は景行天皇の皇位継承候補筆頭の「若帯日子(ワカタラシヒコ)」で、ヤマトタケルとは異母兄弟にあたります。

参考→https://nemlog.nem.social/blog/14725

 

系図を見てみるとこうなっています。

 

 

 

若帶日子の天皇、近つ淡海の志賀の高穴穗宮にましまして、天の下治らしめしき。

今までの天皇は奈良に宮を構えていましたが、成務天皇はだいぶ離れて滋賀県の高穴穂宮(現在の大津市)を本拠としました。

 

『日本書紀』によれば先代の景行天皇が晩年の3年間を高穴穂宮に滞在し、成務天皇がそれを踏襲したようです。

 

かれ建内宿禰(タケシウチノスクネ)を大臣(おほおみ)として、大國小國の國の造を定めたまひ、また國國の堺、また大縣小縣の縣主を定めたまひき。

 

成務天皇の代で建内宿禰(たけしうちのすくね)という人物が大臣の位に就き、以降4代にわたって政権の中枢を担うことになります。

また地方の行政単位を定め、ヤマト政権に帰順して日の浅い地域では国造(くにのみやつこ:地方豪族に、自地域を治めさせる)、支配下になって歴史の長い地域では県主(あがたぬし:中央から派遣した地方行政の責任者)といった地方行政のかたちが整えられました。

 

仲哀天皇

 

帶中日子(タラシナカツヒコ)の天皇、穴門の豐浦宮また筑紫の訶志比(かしひ)宮にましまして、天の下治らしめしき。

 

ヤマトタケルの息子である、第14代の仲哀天皇は山口県の豊浦、さらに福岡の香椎を拠点としました。

 

いきなりどうした!? と思われるでしょうが、この仲哀天皇が即位すると九州で熊曾の反乱が起こり、皇后や建内宿禰を伴って征伐に向かい、その最中に崩御してしまったのです。
(この様子は、次回の神功皇后の段にくわしく書いてあります)

 

また息長帶比賣(オキナガタラシヒメ)の命に娶ひたまひき。

この太后の生みませる御子、品夜和氣(ホムヤワケ)の命、次に大鞆和氣(オホトモワケ)の命、またの名は品陀和氣(ホムダワケ)の命二柱。

 

仲哀天皇の后にオキナガタラシヒメ(=神功皇后)があり、その息子が

  • ホムヤワケ
  • ホムダワケ(オホトモワケ)

の2人です。
垂仁天皇の御子であるホムチワケとは別人)

 

長男のホムヤワケというのが古事記・日本書紀ともにこれ以降の記述がなく、次の皇位は弟のホムダワケ(応神天皇)のほうに継承されます。

ホムヤワケは早世してしまったのか、何らかの闇があって葬り去られたのか・・・

 

 

また弟のホムダワケの方に関しては

 

ここを以ちて腹中にましまして國知らしめしき。

 

お腹の中にいらっしゃって、天下をお治めになった。

という、これまた不思議な書き方がされているのですが、どういうことなのかその説明は、また次回に。

この記事を書いた人
東京都北区王子でカフェやってます。