connecting...
Google translation for articles :
2 NEMBER donated to you!!

好きだけど嫌いなコト 〜アンビバレントな感情〜

nem1.70xem (2) 173 7 0

何かが好きだけど、嫌いでもあるという矛盾した感情。

誰しもが抱いていると思います。

 

この現象に対してはアンビバレント、両義的という概念がよく当てはめられます。

「ある対象」に対して「好き」と「嫌い」を併せ持っている状態。

 

さて、両義性とは、そのある対象が「一つの物」として認識されていることを前提としています。

しかし、ちょっと待って欲しい。

 

それは本当に「一つ」なのでしょうか?

 

例えば、絵画は光が差し込む角度によって大分印象が変わるそうですし、右側に立って観るか、左側に立って観るか、しゃがんで観るか、背伸びして観るか、あるいは逆立ちして観るかによってもまた変化するでしょう。

であれば、絵画は異なる視点から観る度に認識上はそれぞれが違った対象として受け取られるはずです。

 

もっと身近な例を挙げましょうか。

 

玉ねぎについて、みじん切りは好きだけどくし切りは嫌いという人がいらっしゃる。

この場合も、彼は「みじん切りの玉ねぎ」と「くし切りの玉ねぎ」を異なる対象として認識しております。

 

彼女の「ココ」は好きだけど、「アソコ」は嫌いというのもまたそうですよね。

 

このように、対象の各側面が「異なるもの」として捉えられた場合、その時点においてはそれぞれが独立している以上両義的ではないし、数多の側面を統合して一つの対象について思考する際に両義性が生じたとしても、おそらくその起源は側面ごとの印象にあるのではないでしょうか?

 

彼が「統合的な彼女」について考えた時、そこに好きと嫌いが入り混じっていたとしても、その原因をココとアソコに対する印象に帰することができるということです。

 

コインの表は好きだけど、裏は嫌い。

だから、私はコインのことが好きだけど嫌い。

 

うん。そこに矛盾は無いですね。

 

ところで、これもまた「人は対象の側面ごとに一つの印象を抱く」というのを前提とした話なのですが、それ自体を疑うこともできるのではないでしょうか?

 

真の両義的認識の存在。

つまり、対象の一側面に対しても相反する印象を抱く可能性について。

 

しかし、これがややこしい。

一側面だと思っていたものもまた無限に細分化することが可能であるからです。

 

みじん切りにも色々なみじん切りがある。

 

粗みじんもあれば、ペーストに近いレベルまで刻んだものもあります。

 

また、外見上全く等しいように見えても他所から現れた要素と結合して別物へと変貌することもあるでしょう。

「自宅で遭遇するみじん切り」と「外出先で遭遇するみじん切り」は別物です。

 

調理法によっても、他者の存在によっても、場面によっても、あるいはそれに出くわす時間帯によっても...自由自在に独立されてしまいます。

 

故に、決定的な一つの側面というのを定義するのが難しいため、それを元に実験を行って示すのも厳しいでしょう。

とても歯痒い。

 

果たして、人は物事に関して独立した一側面それそのものに対して「好き」であると同時に「嫌い」という両義的な感情を示すものなのでしょうか?

 

Why don't you get crypt currency 'nem' by posting your blog article?

nemlog is blog posting service which has donation feature by crypt currency nem.
nemlog was launched to create environment which can be donated nem among NEMbers via blog articles.
Let's get nem by posting good blogs.

Nem prize event is being held frequently, Please join us on this opportunity!

nemlog registration from here
Register
Comments from NEMber
物愚者
2019-04-12 14:20:43ID:101412

>>半端少年::さん

返信が遅れてしまい申し訳ありません。

>感情論を他者に証明・説明するために理論で解釈しようとすると色々なものが”ズレる”ような気がします。

何かを認識する時って基本的に、言語、概念化されたものからそれ未満の情念まで含めて様々なものが浮かんでいると思うのです。
複雑です。

しかし、現実的な制約がそれを許さないんですよね。
何かが好きだとか、欲しいと言ったならば「そうあらなければ」批難されますし、そういう単純な一貫した姿勢が規範ともされていますので。

コンプレックスが本来複雑という意味であるのに、それに病的な意味が付与されたのも一貫性を欠いた思考を良からぬものと見做すからであると思います。

半端少年
2019-04-11 00:12:54ID:100459

面白いお話を有難う御座います。
”一つの側面”が、人の主観によって成り立っているというところが厄介ですよね。

理論と感情論は別物ですから、恐らくアンビバレントな感情状態も感情論的にはあるのではないかと思います。
個人的には、”complex”はそうではないかと思っています。

しかし、感情論を他者に証明・説明するために理論で解釈しようとすると色々なものが”ズレる”ような気がします。
チューニングが合わないと言いますか、形が違うと言いますか。
ここら辺は心理学の長年の課題に繋がっているような気がします。

難しいですね。

物愚者
2019-04-10 19:39:52ID:100271

>>オーウェン::さん

>しかし、好きであるのにも嫌いになるのにも理由があって、
それが共存している場合、
そこを突き詰めて考えて見ると独立していないのではないか。

それもあります。
理由が先立って対象を見ると対象のレベルでは同じと見なしていても結局文脈的な差が生じるっていう。

やっぱ無理だな〜

オーウェン
2019-04-10 19:23:54ID:100259

>>物愚者::さん
玉ねぎは玉ねぎだろ。
みじん切りはみじん切りだろ。
としか考えなければ、独立という事ですね。
その上で、好きであり嫌いであることはあり得るのだろうか?ということか。

しかし、好きであるのにも嫌いになるのにも理由があって、
それが共存している場合、
そこを突き詰めて考えて見ると独立していないのではないか。
となる。

物愚者
2019-04-10 18:37:01ID:100225

>>オーウェン::さん

(尤も、差異を早々に切り捨てて一つに纏める能力というのは、裏を返すと世界を詳細に捉えようとしない省エネ志向的な傾向を持っている、要するに頭が悪いことの証でもあるんですが。。。)

物愚者
2019-04-10 18:31:40ID:100223

>>オーウェン::さん
>どこまで細分化出来るかというところも人の考え方、認知で変わる物では、、、

もしかしたら、ものの考え方の傾向によって「細分化を拒む人」がいるかもしれません。
ならば、彼にとってはあらゆるみじん切りがみじん切りとして纏められて「独立」し得る可能性があります。
もしかしたら、玉ねぎで独立させることも可能かも。

であれば、独立という状態を再考せざるを得ないかもしれません。
本文中では、認識に軸足を置きつつも突き詰める過程が不可避であり、それがどこまでも突き詰められるからこそ独立した状態を定めるのが不可能かもしれないと書いたのですが、あるところで主観的に一つのものとして纏める能力がある人がいるならば、少なくとも彼にとってはそれが独立した側面であり、それを基にした検証も可能かもしれません。

オーウェン
2019-04-10 17:09:44ID:100201

独立という言葉がまず難しい、、、
どこまで細分化出来るかというところも人の考え方、認知で変わる物では、、、
絶対的な細分化による独立はあり得るのか、、、
基本的には連続した物事が多く、独立とはその真の一点なのか、はたまた不連続点なのか、、、

わからんうぇ〜いヽ(・∀・)ノ

NEMber who posted this article

二億円なんかいらない。
20235
0

Why don't you read following articles?