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「個性と教育について考えた」話

nem17.59xem (11) 220 20 1

昨日から今日にかけて「個性と教育」について自分の経験を踏まえ考えていました。

きっかけになったのは2つのnemlog記事で、目指せ北海道さんの「倒れるまで働くと人間がどうなるのか」とYonnsannさんの「読んだ気になれる 太宰治「彼は昔の彼ならず」です。

目指せ北海道さんの記事は仕事を精一杯頑張った結果、心身喪失状態に落ち入り、結果「自分のやりたいことをやっていない」ことに気づいたというお話でした。脳死ゾンビ量産工場と化した学校教育では考える頭が育たず、自分で苦しんで初めて気づけることに対する嘆きのコメントもあります。Yonnsann記事では個性が大事、多様性が大事で「みんな違ってみんないい」という言葉が逆に個性尊重の気風作っており、むしろ個性がないと今後はAIに仕事奪われるよ、生きている価値なくなるよと言われている気がするとのことでした。太宰の「彼は昔の彼ならず」という作品の背景にもこのような個性が埋没している「無性格」がありますが、作品ではこの「無性格」に対する一種の理解や許容あり、それが「個性」に悩む今の世の中にも必要なのではないかとの記事でした。

1人の子を育てる親として、教育には無関心ではいられませんし、今後親として子にどのような助言ができるのかをこの2つの記事を通して考えさせられました。教育の専門家でもなく、現場を知らぬ私が自身の経験も踏まえ得て勝手に考えたことですので、皆様からのご意見もいただけたらと思います。
 

私が教育に期待すること

 

先の目指せ北海道さんの「脳死ゾンビ量産工場」との表現は辛辣ですが、的を得ていると感じます。現在の偏差値教育は「落ちこぼれを作らないこと」が大切にされ、ちょっとでも個性を出せば変わっている、発達障害だのと最悪の場合は隔離されてしまいます。さらに高校では偏差値でグループ分けがされ、どんどん平均化されていきます。なんのために勉強をしているのかを考えなくてもテストの点を取っていればよく、良い大学に入って、大きい企業に入れば順風満帆で幸せな人生が約束されるとの神話が今だに信じられているのでしょうか。最近の研究では高学歴者においてうつ病や自殺者が多くなるとの報告もあり、決して神話通りの幸せな生活が約束されているわけではありません。「考える」ことなく、企業に就職し、言われるがままに仕事をこなす、同じような偏差値で同じように生きてきた同期としのぎと時間を削って少ないポジションを争い、足を引っ張りあう世界(これが魑魅魍魎の世界?)挙句の果てには若手の独創的なイノベーターにすべてをひっくり返され「個性の時代」と言われてしまいます。それでは精神が病んでもまったく不思議ではありません。これはあくまで新聞やブログから得た情報で構成された想像の世界であり、それもまたステレオタイプな世界なのかもしれませんが、世界がこれだけ急速に変わっていく中で教育体制が変わっていかないのはいかにもお役所仕事のような感じがしますし、公立の弊害とも言えるかもしれません。もちろんそういった現状を嘆き、どうにかしないとと危機感を持っている現場の先生方も多いと思います。しかし、学年で区切られ連続性のない現在の教育環境では義務教育中にそうした先生に連続して当たることは難しいですし、親として教育現場に丸投げすることでも無い気がします。

そんな教育現場に私が期待したいことや子に学んで欲しいことは「自分のことを知る」ことです。先生や友達というフィルターを通して自分の得意なことや好きなこと、嫌いなことや苦手なこと、自分が大切にしたいことなど自分で気づけるようになってもらいたいし、先生にはそのためのサポートをしてもらいたいと考えます。自分が苦手なことはそれが得意な子に手伝って貰えばいい、自分が得意なことで人を助けてあげればいい、自分の好きなこと得意なことが世界のどんな問題に役に立つのか、世界ではどんな歴史があっていまどんな問題を抱えているのか、自分の得意なことでその問題にどの様に対処することができるのか、そのためにはどのような勉強が必要なのか、どのような解決手段があるのかを考えさせて、その解決手段としての数学や科学、技術の知識であり、その問題把握のための社会、歴史、国語の知識であってもらいたいと思います。この目的指向型のアプローチを取るのであれば、書き読み、四則演算など生活に最低限必要な知識を得た後の授業は選択性、単位制にするのが理想的な形かもしれません。

 

自身の高校時代に学んだことと個性

 

私の選んだ高校は当時では珍しく、普通科(理系)、国際文化科(文系)、技術科(理系・工学)、システム科(理系・システム)、商業科(商業系)と5つの学科がある総合高校で、授業は学科に特化した選択性でした。これからのグローバル社会とインターネット社会に精通した人材の育成を掲げ、大学生でも難関な資格試験に挑戦して合格者を出したりと当時は新聞も賑わしており、それでいて部活もそこそこ強い学校でした。

学科ごとにある程度の進路先が見えている(目的がはっきりしている)ため、入学者は目的意識の高い人が多く、明確に夢を語れる人が多かったと思います。私はその中でも普通科でしたが1年生のときにはMIXクラスがあり、学祭や体育祭、宿泊研修はなどのイベントはMIXクラスでやっていたため知らず知らずのうちに多様性を認める校風に感化されていたと思います。当時では珍しいオタクもシステム科にはたくさんいましたし、まだウィンドウズ95が出てそこそこの時代にCDをコピーしてコソコソ商売していた奴や漫画を書いてネットに流していた奴、ゲームをプログラムしてPC室で遊んでいた奴がいたりと本当に面白い人たちが揃っており、クラスには秀才からゴリゴリのスポーツマン、オタクにコギャルが並びます。

そんな校風にあってか先生も一風変わった先生が多く、数学の先生はその知識を生かして国際ボランティアに行ってダム作ってきたり、自転車で世界中回っている先生がいたり、先生が率先して野鳥の会や数学研究会や英語研究会などを立ち上げては生徒を巻き込んだりしていました。まわりを見渡せば夏休みに中南米にボランティア視察に行ってきた、中国に留学した、映画監督になりたいからいま映画撮っている、女優になりたいから演劇部作ったなど個性の塊でしたので特別個性がなかった私も「個性」とはなんぞやと考えるきっかけはたくさんありました。そんなとき友達に言われたことは「普通」も個性、それでいいし、「普通」でいれることの方がすごいよとの言葉でした。それから「普通」ってなんだろうと考える様になり、「普通」も自己表現の一つにすればいい、なら「普通」を極めるのもいい。私は「普通」が得意なのかもしれない。すると人は誰しも最初から個性があるのではないかということに気づきました。なにか特別に変わったことをすることが個性ではなくしっかりと自分のことを考えることが大切であり、それによって自分のアイデンティティが形成されて行く、そしてそれは絶対的なものではなく変化するものであっていいのだと考えるようになりました。

 

人真似でいい

 

絵を書くとき、スポーツを始める時、始めは何かを真似て書いたり、動いたりすると同じ様に生き方や個性も最初は真似でもいいと思います。「学ぶ」の語源は「真似ぶ」です。真似てみて経験してみて、その中から自分の好きを見つけていけばいいと思っています。私はいつも人の真似から始まります。勝手にメンターを作っては言葉や生き方を真似ています。ファッションも趣味も真似です。真似て経験してそこからちょっと工夫して、自分なりのやり方を見つけていきます。0から1を作りだせる人は本当にすごいと思いますが、真似る方が圧倒的に効率が良いと思いますし、厳密にいえば0から1を創り出すような人でも真似をしていない人はいないと思っています。Yonnsannさん記事にあった「今の若者は何かの真似をするばかりで個性がない」と言われてしまうのは、真似する目的がないまま真似をして、考える頭がないからとりあえず真似しとけばいいといった結果であり、現在の教育の問題点を露呈しています。横並びの教育で個性の出し方も個性がなにかも教えられずに、急に個性を出せと言われて戸惑うのは当たり前です。誰しも個性はある、しかし、それを活かすための術や目的、問題に対しての解決方法を考えることができないことが問題なのではないでしょうか。

自分が真似したくなるような大人や友達とたくさん出会うきっかけになるのが学校であって欲しいし、私が経験してきたようにそのような学校も実際にあります。親がメンターとして機能することも大切だとは思いますが、それ以上に社会の中で自分を活かす術を学ぶこと、それを高めるため、多くの人から真似ることを学んで欲しいと思っています。

 

最後に

 

とりとめもなく、本日の思考を書いてしまいました。初めに書いたように私は教育評論家でも研究家でも現場指導者でもありません。これは私の経験と生き方から得た教育論です。2つの記事から得たキーワードである「個性と教育」から親として子に何を伝えていかなければいけないのかを真剣に考えました。教育に正解はありませんし、預けている以上は現場の先生方を信頼してお任せし、その教育に沿った形で家庭でも協力していくことも必要だと思います。来週には家庭訪問があります。そのときには私たち家族が大切にしていることだけはお伝えできればいいと思います。家庭訪問前に思わぬ形で教育に対して考えをまとめることができました。

そしてこの記事が誰か一人でも教育や子育てについて考えるきっかけになればと思います。

一見まったく違うアプローチの2つの記事から思考探検をしてきました。nemlogの多様性とコミュニケーションブログの形態は議論を可能にして思考を深める良いきっかけになります。これは本当に面白い体験だと思います。

 

長くなりましたが最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

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Comments from NEMber
7zoesan
2019-04-18 22:32:39ID:105848

>>Yonnsann::さん
色々と皆さんと議論していて生物として「個性」はもともと大事であったのだけれども生物の視点が抜けているばっかりに本質が掴めないことが問題であると感じました。
人の教育とはとても難しいことなんだと再認識しました。

Yonnsann
2019-04-18 22:24:50ID:105840

「個性」は今後教育において重要な課題となりますが、その本質が何なのかは学校現場でもまだ掴めずじまいといった感じで「とりあえずアクティブラーニングをしとけばいい」みたいな授業作りをしている学校も少なくないです。背景には様々な問題が渦巻いていますが子どもたちのためにも早く解決して欲しいと思います。

7zoesan
2019-04-18 18:17:23ID:105696

>>やそ::さん
ご指摘ありがとうございます!修正しました!
自然界では変数が多すぎる、ごもっともだと思います。だからこそ自然を歪め計算できる形にしてきたともいえます。正解を求めるあまり自然から人や科学が乖離してきたからこその問題もありそうですね。

やそ
2019-04-18 17:49:01ID:105691

1つ目の見出しのあと、
現在の偏差値教育は「落ちこぼれを作らなこと」が
【作らな『い』こと】

誤字がありました。


という話じゃなくて。
育てるって、正解がないからこそ難しいんだと思うんですよね。
作物でも何でもそうですが。
あるゴールも決めて、これを作りたい。というものが明確に持てればそこに行くのは簡単だけれど、
ゴールなんてないことが多いのが世の中ですし。

適地に適当なものを適宜配置する。
人工的に作った環境の中ではそれもできるかも知れませんが、自然界では変数が多すぎますよね。

7zoesan
2019-04-18 12:54:14ID:105626

>>ちきゅう::さん
ありがとうございます。
ちきゅうさんのコメントがあって自身の経験をまとめておこうと思い書きました。誰かの何かの役に立てれば幸いです。

7zoesan
2019-04-18 12:51:33ID:105623

>>目指せ北海道::さん
将棋での例え面白いですね、王はオールマイティだけど1つづつしか進めない、飛車、角は大胆に動くことができる。みんな飛車、角のようになりたいのでしょうけど、慣れるのはごくわずか。私は歩兵から成るぐらいを目指したいですね。

7zoesan
2019-04-18 12:46:08ID:105621

>>YUTO::さん
そうですね、時代時代に合わせた価値観があって教育や個性って生き物のように変化しなければその歪みが心身を蝕む問題になるのではないかと考えています。

7zoesan
2019-04-18 12:42:31ID:105620

>>mizinco::さん
私も4年ほど公務員として病院で働きましたが4年でモチベーションはがっちり下がりました。100年人生、ゆっくり決めても遅くはないと思います。

ちきゅう
2019-04-18 12:19:35ID:105605

『すると人は誰しも最初から個性があるのではないかということに気づきました。なにか特別に変わったことをすることが個性ではなくしっかりと自分のことを考えることが大切であり』

ここいーねー✨

目指せ北海道
2019-04-18 11:32:15ID:105585

僕の拙い記事を引用してくださってありがとうございます。

真に普通である人が持つパラメータをレーダーチャートにすると、きれいな円を描くのではないかと思います。どの方向にも動けるし、どのような事象にも対応できる。将棋で言えば王将。多くの求道者が求めてたどり着けない円相の境地ですよね。

飛車角は目立つけれど、大体最後まで残っていません。でも王将は必ず最後まで残ります。日本の教育でリーダーが育たないのは、実はそんなところに原因があったりして、、、。

NEMber who posted this article

北海道で理学療法士兼スポーツトレーナーとして活動しています。
これまでの臨床経験から得た気づきや学びに関すること、
日々の読書の備忘録など、徒然なるままに健康と幸福と自身の人生観についてアウトプットしていきたいと思います。
NEMはあまり関係ないことが多く、申し訳ありません!!

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