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【教育】ひとはなぜ楽をしたいのか?なぜ他人と自分を区別したいのか?

nem28.33xem (10) 241 15 3

7zoesanさんが、僕の書いた記事を引用して、「個性と教育について考えた」話を書き上げてくださいました。コメントを含めてとても示唆に富む記事なので、それを受けて僕のよしなしごとを綴ってみたいと思います。


1. はじめに

前例踏襲主義。それは世代を超えて、日本人が大切にしてきた文化であり、学ぶとは真似ることであるという考えの根底にあるもののような気がします。より良く生きるための知恵ですね。学校教育もその影響下にあります。

 

例えば、パンテーンが「地毛証明書」についてのキャンペーンをやっています。その中で分かったのは、生徒だけでなく、少なからず先生も疑問を持ちながら「生徒を守るためのルールだから」という大義名分のもと、自分の意見を引っ込める選択をしている事です。学校は、前例踏襲主義を否定しながら実践しているのです。

 

 

それは、世代を超えて作ってきたルールだから、大切にしないとならない。そういった美徳意識からなのですが、校則がない学校が存在することでその有効性も否定されはじめてきています。では、なぜ学校は、それでもなお古い校則に固執してしまうのでしょう?

 

2. ゾンビ工場

僕が脳死ゾンビ量産工場と揶揄したのは、

 

何も変えない方が楽

自分の意見を言わない方が安全

多数決で多い方が正解

 

この3つが学校や職場で無意識のうちに共有されている事です。見えないルールへの固執です。さて、これらにはどんなメリットがあるのでしょうか?

生命はエネルギーを消費して自分を維持せざるを得ないため、省エネで楽な方へ流れる性質を持っています。Tom Rayという進化学者が、コンピュータの中で増殖する人工生命「Tierra」を作った時、最初に現れたのが、隣の生命体に寄生して増える「寄生種」でした。Tierraで発生した寄生種は、その効率によってまたたく間に世界を支配しますが、寄生種同士が食い合うようになり、急速に新旧交代を繰り返していきます。激しい生存競争の中では、上の3つのルールがもたらす効率性が生き残りには必要です。これに逆らうことはコストを必要とするからです。そして限られた資源を奪いあい、不安定な共食いを続ける。今の学校制度は、効率が良くなければ生き残れないという環境で作り出されてきたものだから、こういう傾向が強く現れるのです。

 

3. 個性

最近の研究で、ヒトの脳は他のサルに比べて、反応速度やロバストネス(対障害性)を犠牲にしながら、効率を上げて多くの情報を処理する能力を獲得した事が分かりました。

簡単に言うと、Z80CPUが最新のマルチコアCPUになったようなものです。処理能力は爆発的に上がったけれど、強力な冷却器や安定した電源が無いとまともに動かないという感じですね。本来ならこの非効率で不安定なシステムは、コストがバカ高いので、厳しい自然によって淘汰されるはずでした。

 

でも、そうはならなかった。

 

僕は、個性とは、今のままでいたいという原始的な欲求に逆らって【トクベツナモノニナリタイ】と願うことから生じた多様性だと思います。もうちょっと簡単に言うと【モテタイ】です。ヒトという種は、他の類人猿より発達した脳によって、この他人と自分を区別したいという欲求(欲望)を増幅させ、それが遺伝子に頼らない多様性もたらしたのではないかと。火を使ったり、文字を発明したり、絵を描いたりして「俺・私ちょっとイケてるでしょ」と異性や同性にアピールしたかったんです。そして発達した脳の高い演算力によって、遺伝子に組み込まれていない道具や知恵をすごい速度で生み出して、厳しい自然淘汰に対抗したのです。

 

つまり、物愚者さんのコメントにあるように、悟性(野性)と理性が入り混じったややこしい生き物なのです。直感的に正しさ(美しさ)を理解できる保守的な生き方と、他者と自分を区別して考える事で多様性を獲得しようとする戦略的な生き方。ヒトが生き残るために、そのどちらもが必要だったのです。

 

4. 教育とは

これらのことから、われわれ日本人は効率(野性)を重視し、個性(理性)を重視しない教育を続けてきた結果、アメリカ、中国などの、多様性を持つ国家に「進化的に」遅れをとったことが分かります。数十年で大きな差をつけられました。では、今後の教育とはどうあるべきか?

 

野性の教育:スポーツや受験科目のように模倣と数値化によって競い合わせ、効率が良い成長が期待できるが、多様性を生み出す力が弱い。能力の高さでモテることができる。

理性の教育:文学、理学、芸術などは数値で表せないのでそもそも競争できない。模倣だとちっとも面白くないので多様性を生み出したくなる。特殊性と意外性でモテることができる。

 

あえて言うなら、これらの2つをきちんと分けて学ばせることです。この両者をないまぜにして、理性の教育までも偏差値や点数を付けて1次元的に序列化するから、面倒くさいことになるのです。教育を2次元で考えるだけで、社会において効率性と多様性をバランス良く獲得する意味を見い出す事ができるようになるはずです(しかもバランスのいい人は特にモテる)。その組み合わせ方は無限にあるから、それが勝手に個性になって、さらに多様性を生み出していくかもしれません。こう考えると、スポーツができる、受験勉強が得意ってのも、ちゃんと個性だって思えてくるから不思議です。

 

今の教育、別に悪くはないんです。ただ、大事なことを見落としてるだけ。


とりあえず、僕が持っているかなり偏った知識を基礎にして、それっぽく組み立ててみました。スポーツや受験術にだって理論はあるんじゃーとか、そんなん昔からわかっとるわとか、言われるかと思いますが、ヒトにはそもそも相容れない2つの進化システムが共存しているのだということが伝わればいいかなと思い、乱暴に区別してしまいました。物愚者さん、あんた天才だよ(笑)。

 

今回も、読んでくださってありがとうございました。

 

目指せ北海道

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Comments from NEMber
物愚者
2019-04-22 01:12:51ID:107752

>>目指せ北海道::さん

将棋の羽生さんも省エネなんですよね。
体に染み付いた一種の慣れが高いパフォーマンスを発揮すること関して、ニューロンとアプリオリな才能という野性がもたらしている部分結構あると思います。

>学校がそんなところになったら地獄ですよね。
「なったら」、「なったら」、アイロニー。

目指せ北海道
2019-04-20 04:42:02ID:106533

>>物愚者::さん
柳田敏夫先生の面白い研究がありまして、サッカーの天才の脳を調べたら、恐ろしく省エネだったそうです。その分、普通の一流選手より多くのパターンを常に予測しながらプレイしていることが分かりました。つまり、発想の柔軟さや多様性は、脳の省エネな使い方から来ているらしいのです。文学や数学ではひらめきが大切と言われますが、それは省エネ脳が高レベルの並列思考をしていることから来ているとすると、実は理性と言われているものも、野性となんら変わらない、身体能力のひとつと考えることができます。

>中庸と平凡の違いみたいなものでしょうか。
面白いですね。中庸とは自然発生的なばらつきの重心であって、白でもなく黒でもない。でも、工場の場合は白か黒かを作りたいので、白か黒、多い方を平凡と定義して、全体を白または黒に染め替えていく。工場の外から中を見えなくして中庸や人間の多様さに気づかせないことで、規格に合う人間を量産して、歩留まりが上がる。学校がそんなところになったら地獄ですよね。

物愚者
2019-04-19 16:17:01ID:106230

>>目指せ北海道::さん

>僕は日常的にヒトの細胞を取り扱っているせいか、機械論的な生命観が強いです
あ、以前どこかで仰っていただていたような気がします!

逆に、私はあまりその考えに馴染めなくて、何かを知覚した際に同じ脳領域が賦活していたとしても「同じ経験をしている」と言っていいのかなと思ってしまったり笑

しかし、実際肉体によって規定された普遍的な要素というのも要因として働かないわけではないので、同じとして括れる部分もあるのかもしれないですね。
モテも理性と野性双方が絡み合ってるという。

>多数決で多い方を真似なさいと言われ続ければ、いつしか自分が何者で、何をしたいのかもわからなくなることでしょう。
中庸と平凡の違いみたいなものでしょうか。
工場が求めるのは全体平均の平凡。
自分の思考はいらないし、工場の要請が「偏ったもの」であってもその中においては平凡となりますよね。

中庸の視点から見た時、その要請が根本的に「偏ったもの」だと気付いても、その意見は平凡側からすれば異常で偏ったものであるため排斥されるし、そういう意見が生まれると困るので工場側も余計に偏った平凡の生産に躍起になるやつ。

目指せ北海道
2019-04-19 15:51:29ID:106217

>>物愚者::さん
僕は日常的にヒトの細胞を取り扱っているせいか、機械論的な生命観が強いです。かなり特殊な物の見方をしているので、僕の方がちょっと変な事を言っていると思います。言葉の使い方も少しずれているという自覚があります。

人間の大脳皮質は極度に肥大化しており、そのせいで同じ構造をもちながら、同じ刺激に対して異なる反応を示すようになってしまった。反射行動の多様性ですね。男女間の話も面白いですよね。ヒトは白血球型(HLA)の異なる異性に魅力を感じるという説がありますが、これは遺伝子の違いを好むという野性的なモテ。でも、それだけではなく自分と異なる反応をする脳にも惹かれる性質もあるのではないかと思います。これを理性的なモテとでも言いましょうか。

文学など、感じ方や考え方が多様になるように、わざわざあいまいに書いてあるのに、テストで「ごんぎつねの心情を述べよ」という問いに、「後悔」が正解で、「狐の気持ちは人間には分からない」が不正解というのも、おかしな話です。多数決で多い方を真似なさいと言われ続ければ、いつしか自分が何者で、何をしたいのかもわからなくなることでしょう。

物愚者
2019-04-19 15:20:39ID:106210

生物としてほぼ等しいとしても、そのナマの体験自体をAくんとBくんの間で共役できないという事実自体が十分個性的であるのだから、明文化された教育においては(肯定的な意味で)モノマネをさせればいいんじゃないのかなぁと。
理性的な営みにおける型破りもゼロからではなく、モノマネの末に発生する創造だと思ってる身としてはこんな感じに思っちゃうんですよね。

しかし、仰る通り、工場というのは画一的な個体を量産するという目的で稼働するため、元々の材料として搬入される「人」という存在を共通規格と仮定した上で画一的な見え方や感じ方というのを強制的に詰め込もうとしますので、その点においては私も良からぬものだと感じています。

化学も数学も国語も、全てにおいて一切考える余地を残さないモノマネは否定的なものだよなぁ、と。

色々と誤解を招いてしまい申し訳ありませんm(_ _)m

物愚者
2019-04-19 15:08:53ID:106208

>>目指せ北海道::さん

>生物としての人間にもともと備わっている生存欲求を野性。発達した脳という器官が作り出した好奇心を理性と定義しました。そのほうが、受け身のUnderstadableと、能
動的なReasonableにちょっと感じが近くなるかなーと。

あ、確かに、その見方は反射と行為の弁別の延長線上にあるというか、本能的行動のうち生理のレベルでは大脳を経由しており、膝蓋腱反射よりは「高次の行為」として見做されるんですが、広い意味では同レベルのものと見做すこともできますね。
例えば、進化心理学者が男女がパートナーに求める要素は本能的に決まっているみたいな話をする時とか。

すいません、でも私、生理や肉体から離れた意味で件の用語を使ってました。
>もちろん、生物としての性能が突出していることも個性と捉えることもできます。

なんといいますか、感性とかそれに基づいて受け取る感覚というのを「生物としての性能」としては見てなかったというか。

目指せ北海道
2019-04-19 08:54:28ID:106053

>>うぇんじにあ::さん
「書く」技術が重要視されるようになるのですね〜。ネムログスコアも評価に入れてほしいな。

うぇんじにあ
2019-04-19 08:39:59ID:106048

2020年から試験制度が大きく変わって、自主性を見るような共通テストを導入するたみたいです。

その結果、次の世代の個性が伸びれば良いなと思っています^^

https://www.benesse.co.jp/kyouikukaikaku/images/common/university.pdf

https://www.benesse.co.jp/kyouikukaikaku/

目指せ北海道
2019-04-19 00:34:40ID:105986

>>物愚者::さん
悟性と理性の使い方を、勝手に少しいじってしまいました。すいません。なので悟性を野性と言い換えています。

生物としての人間にもともと備わっている生存欲求を野性。発達した脳という器官が作り出した好奇心を理性と定義しました。そのほうが、受け身のUnderstadableと、能動的なReasonableにちょっと感じが近くなるかなーと。

もちろん、生物としての性能が突出していることも個性と捉えることもできます。また、脳は模倣することが大好きですが、他人の脳の働きをエミュレーションすることはできても、コピーできないことから、そこに個性が生み出されるのも自然なことだと思います。

はてさて、逸脱とはいわゆる誤解を生じさせるもので、誤解は新しい何かを生み出したりする。そんなところにも面白いものが隠れているような。そう考えると楽しいですね。

物愚者
2019-04-19 00:04:43ID:105974

あ、進化の目線から見るとこうなるんですね。

個人的には、先験的な悟性は感性であって、それに基づいたインプットには非言語、非歴史的な個性があるけれど、人間らしい生活において大部分を占めるのは言語的で歴史的な連続性を持つ理性だと思っていまして。

理性は真似から成り立つのが自然なのに「いわゆる個性」というものが真似を拒むことを求めるのはよろしくないなぁと思うのと同時に、真似る中で「その感覚自体」は客観的な形で表すことが困難な唯一無二のものであるということを自覚するところにうまい具合に調和した個性を見出せるのかなぁとか考えてます。

しかし、確かに進化から見るならば感性は適応を目的とした機能である以上、共通して一定の形を示すようになると仮定することもできますね。
そうなると、逸脱は理性的な領域でしか行えなくなると。

あざす!(明日投げます)

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趣味はバイクでツーリングしながら、ブログを書いたり、動画配信したりすること。暗号通貨はまだまだ初心者。

nemlogに何を書こうかいろいろ考えたのですが、まずはバイクで動画配信をするための工夫や楽しさ、充実感などを伝えられたらと思ってはじめました。ラズパイをバイクに積載して、ボタン一つでYoutubeライブ配信できるシステムを作りました。現在の課題は帯域不足と臨場感。仕方がないので、動画をUSBメモリに保存しています。早く5Gにならないかな。

本業は再生医療系研究者です。歯の神経にいる「歯髄(しずい)細胞」を使って、世界中の人を助けるため、しずい細胞プロジェクトを推進中。細胞の流通(トレーサビリティー)管理にNEMのモザイクを使いたいと思って、NEMについて勉強中です。
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