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科学はなぜ科学的であり、またそうあらねばならないか

nem4.35xem (4) 206 9 0

 

https://nemlog.nem.social/blog/20821

こちらの記事でYUTO氏にオススメされた科学哲学の本、支払いは済んだのですが発送日が遅くまだ届いておりません。

 

気長に到着を待ってる最中にぼ〜んやりと下記のようなことを考えてました。

 

これもまた、既に味がなくなったガムのような話なんですが、たまには噛み直してみるのも良いかもしれない。

 

科学が科学的であらねばならない理由とか、あるいは科学的であることとは何なのかについて、科学的に定めることはできませんよね?

 

それ自体は思想的な規範であって科学的なものではない。

 

科学はその思想があるからこそ宗教や文学のような科学以外の営みと明確に区別され得るし、自らの内部で行われるあらゆる事に対して「科学的であること」を要請することができる。

 

例えば、「スパゲティモンスターと念力で通信をする実験」を科学と称して行っている人を発見したら「それは科学ではない」と咎めることができるのは、思想的な規範から逸脱しているからです。

 

しかし、それが科学以外の場で行われた際に領域を跨いで咎める権利があるとは限らない。

あくまで「科学的には誤りである」だけで、空飛ぶスパゲティモンスター教という土俵における規範や価値判断も科学の思想に準じたものであらねばならない道理はないので。

 

ところで、「科学という思想は、他の営みや価値観と相対的に等価であると同時に、内部に対しては異なる規範の介入を認めない絶対のルールとして機能する。」とはいうものの、一枚岩でなかったりもします。

 

多分、なんとなくは共有されていると思うんですよ。

 

嘘を付いてはいけないとか。

正しさを求めるとか。

 

しかし、何が嘘で何が正しいかについてはよく意見が割れます。

信頼性と妥当性というのも、純粋に客観的な指標に基づくものではないんですよね。

 

役割に関してもそうですね。

 

価値中立的な結果や技術を見出すところまでを役割とするのか、そもそも生活を豊かにするためにあると捉えるのか。

 

前者であれば応用に関する議論や工学の分野などは科学の域を超えた活動となりますが、後者ならむしろそれこそが存在理由ということになる。

 

うーん、わからなくなってきますね。

 

そういえば、デュルケムが物理的な存在としての人間は思想など無くとも生きていけるとか言ってました。

 

まぁ、いわゆる焼肉論ですね。

 

人は特に何も考えを要さない先験的な価値判断の基準を持ってます。

思想的な意味での価値判断と、焼肉はうまいから価値があると感じる先験的な価値判断の溝はおそらく埋まらない。

 

その視点からも見ざるを得ない以上、自ずとそれに応じた役割や価値基準の要素も背負わされてしまうのかも。

 

科学は物質的な豊かさを求めるためにあり、それを達成する科学は凄く偉い。

 

こっちの側からすれば、先ほどの正しさに関する議論もさほど重要ではなくなる。

 

「論理的な意味での厳密さの話なんかどうでもいいよ。

要は、実際に役に立つかどうかが問題でしょ?」

 

確かに、実際、税金使って研究してたりもするわけだし、何だかんだ言ってみんな焼肉を沢山食べたいんだから、極化させた価値中立論を武器に科学のためだけに科学するみたいな姿勢を常に貫くのは現実的ではない。

 

というわけで、実生活における効用を最大化することやそれに努めることは科学の価値、役割の一つとして見たほうが良いのかもしれないですよね。

 

しかし、この世俗化を際限なく進めると自己崩壊を引き起こすように思うんです。

 

例えば、ある意味で役に立つならねつ造してもいいとか、大衆が求めるなら宗教と結びついてもいいとか、専門用語の意味の変化が議論を欠いた形で既成事実として認められたりとか。

 

実際に役に立っているうちはまだいいんでしょうが、一事が万事と言うように一つの変化というのは得てしてあらぬところに飛び火するものです。

 

遺伝子組み替えの話なんかでも、特定の操作が他所に悪影響を及ぼす事はよくありますよね。

 

ニーズに基づいてある点において「厳密に科学的であること」を放棄したのをきっかけとして営み全体が非科学的になってしまうかもしれない。

 

蝶の羽ばたきよりは説得力があるかと。

 

何事も変化はするものですが、それはある時点におけるあらゆる変化を手放しで容認する根拠にはならない。

 

科学が強力な規範に基づく閉じたシステムとして構築されているのは、このような「何でもあり」への対策であるようにも思えるんですよ。

 

だからこそ、何をもって科学的であるとするかとか、それに沿った個別の用語や手続きに関する正しさについての議論とか、そういったことを不毛だと避けるのは不適切なのではないでしょうか?

 

真っ当な定義があって初めて営みが正常に機能します。

 

一枚岩でないとはいえ、規範を主張する各々は定義の必要性を理解しているからこそ熱心にそれを提唱しているのでしょう。

 

むしろ、物理学などのハードな領域に属する人の方がこの感覚に疎いのかもしれませんね。

 

以前、「科学哲学は科学にとって有害であり、科学について論じたり懐疑したりする資格はない。」という意見を述べている方がおりました。

 

火のないところに煙を立てるのが科学哲学

との事で。

 

しかし、前述の通り「科学的な基準」について科学の力で明らかにすることは不可能である以上、何をもって科学的に正しいとするかいう話には思想的な定義論が常に付き纏うわけです。

 

物理学における諸々の定義もメタな科学的規範やそれに端を発する議論によって支えられている以上、そんなものは不毛だと見做す姿勢はあまりよろしくない。

 

「落下とは何か?」みたいな話が無意味だと感じる物理学者に対して、落下の定義に関する問いをぶつけたとします。

 

「落下とは落下のことだろう。

何言ってんだ。」

 

いや、回答になってない。

 

「落下とは、これこれこう言うメカニズムの現象のことだ。」

 

物理学が単独でそれを物理学的に正しい定義であると定めることはできない。

 

「みんながそう言ってるからだ。」

 

みんなが上昇を落下だと言うようになったらどうするんですか?

あと、多数決は民主主義という非物理学的な手続きに頼っている。

 

ほら、定義がないと成り立たない。

 

とはいえ、彼が言う「質が悪い懐疑」というのもわからなくはない。

 

「どの程度の毛髪が失われた状態をハゲとするか?」というような問いをひたすら繰り返すとか。

 

攻撃のための懐疑というか、白黒はっきりさせられないことを逆手に取ったイジメというか。

 

こういうのを肯定するために「科学哲学は科学の味方じゃない。」という意見もあったりしますが、個人的にこれは違うと思います。

科学の味方であって、科学者や利益の味方じゃないという方が適切じゃないかなぁと。

 

あくまで懐疑はより良い科学的規範を見出したり、科学者や大衆のスケベ心で規範が歪められるのを防ぐために行われるべきで、イジメに走るのはよろしくない。

 

あるいは、メタ過ぎる視点から眺めるせいで領域特有の個別具体的な特性にそぐわない規範を要求してしまうこともあるかもしれない。

 

例えば、問題解決のために再現が困難な現象を扱わざるを得ないのに「お前たちは科学の対象たり得ないものを扱っている。」と無慈悲な横槍を入れたり、そういう時は確かに「科学的であるべき」というドグマがかえって有害に働いてしまう。

 

とはいえ、そこで柔軟性を持った対応をしたせいでドミノが〜...

 

まぁ、究極、やはり程度の問題なんですね。

 

厳密に定義したり、あるいは強く疑ってかかったりしないといけないものが当然多々あるし、その際に易々と妥協するのは望ましくないのですが、過度な厳密さに拘るあまり人々の焼肉を食べる機会を損ねてしまったり、突き詰め過ぎて主張が空論と化してしまったり、あるいは懐疑が単に攻撃となってしまったり、深みに嵌るとそれはそれで多くの弊害を生む。

 

う〜ん、人間くさい。

 

ファイヤアーベントという科学哲学者は物理学や天文学を学んだ末に「科学の妥当性は神話みたいなもの。」といい、科学が「科学的である」ために特定の方法論を設けること自体を否定しました。

 

「方法論なんかどうせすぐに限界にぶつかるわ。

科学者も科学哲学者もそれがわからんクソばっか。

そんときゃ、そんなカビ生えた客観的な秩序とやらにしがみつこうとせずにお前らの好きなようにやればええ。」

 

まぁ、これもある意味では紋切り型の規範、秩序を用いて全体を完全に統治することが不可能だという上記のような人間くささに対する一つの解ではありますよね。

 

私はダメだと思いますけど。

 

「私は。」

 

 

 

はぁ、疲れた。

 

 

科学とは、科学的であり、またその内部に存在する種々の行いに対して科学的であることを要請する特徴を持つ一つの思想的営みである、という話。

 

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Comments from NEMber
物愚者
2019-04-20 02:08:38ID:106528

>>オーウェン::さん

思考酔い

オーウェン
2019-04-19 18:15:38ID:106268

>>物愚者::さん
頭が痛くなってくるヽ(・∀・)ノ

物愚者
2019-04-19 15:55:52ID:106219

>>オーウェン::さん

>掘り下げたら燃えてたーなんて全然あるでしょうし、単純にその屁理屈ともとれる内容は意見として面白い。
それなんですよね。

定まるとそれ以降「そういうもんでしょ」で回るんですが、問う人がいなくなると致命的にそういうもんじゃなくなって燃え盛るまで問題が放置されるんでとても危険なんですよね。

確かに考え過ぎるのもよくないんですが笑

7zoesan
2019-04-19 12:47:19ID:106144

焼肉は美味しい⇨たくさんクローン作るための技術を研究しよう×研究予算○
何が美味しく感じさせるのかを研究しよう○、研究予算×
空飛ぶスパゲッティ教信者ってスパゲッティザル被って免許写真とっていいんですってね笑、宗教上の理由で。
あっもしかして被ってます?

オーウェン
2019-04-19 05:32:10ID:106027

とりあえず、最後まで読むと、、、内容を忘れる(笑)
自身が薄毛になってきたことを思い出すいい機会になりました。

「科学哲学は科学の味方ではない」は私も違うと思う。
火のないところに煙を立たせるのは、屁理屈である場合もあると思うが、
掘り下げたら燃えてたーなんて全然あるでしょうし、単純にその屁理屈ともとれる内容は意見として面白い。
新しい視点を生み出すきっかけになりうると思うということ。

話は変わるが、私が会社で経験したことなのだが、
自分が学んでいない分野でわからなかったので、
「これってなんでこうなるんですかね?私は違うイメージがあるんですが。」と聞いたら、
「え?いや、、、そういうもんでしょ、、、。」って返されて、あぁそうですか。
としか返せなくてモヤモヤしたことがある(笑)

「落下とはなにか?」
とか、そんなハードな話じゃなかったのに、
説明して頂けなく非常に悲しかった(^^;
この人にはそこまで聞いてはいけないと思った(^^;

しかし、ある物事を深堀して、肯定意見、否定意見を生み出し考えすぎると疲れてきて自我崩壊みたいになりそうで、、、
やはりいい塩梅というやつですな(笑)

物愚者
2019-04-19 00:27:12ID:105983

>>YUTO::さん

ハードルが高い笑

YUTO
2019-04-19 00:21:22ID:105982

科学哲学の本を読んでみての感想を楽しみにしていますww

物愚者
2019-04-19 00:19:29ID:105981

>>目指せ北海道::さん

私も、この中では実学を立てましたが、ぶっちゃけそれが極論化して快楽を生むことに直接繋がらない領域を役に立たないと切り捨てるのが絶対的正義である、みたいな流れになるのは正直好かないんですよね。

というか、その合理性を突き詰めると娯楽とか食とか、大半いらないんですよね。
服なんかSFみたいなピチッとしたタイツでいいし。

そういう状態をも肯定し得る機能美という言葉もありますが、肯定し続けた末にあるのは虚無の画一性なんですよねぇ。多分。
「実」だったものも行きすぎると「虚」になるっていう。

いや、それが虚無だというのは今を基準とした思い込みだと言われるのかもしれないですが。

目指せ北海道
2019-04-19 00:06:56ID:105977

うーん、なんだかよくわからないw でもこの記事を読んで、虚学と実学の話を思い出しました。焼き肉を美味しく食べるための実学があるなら、虚学があってもいいじゃないかという議論です。まったく役に立たない虚しさの中に、ピュアなサイエンスが潜んでいるという、ある種の言葉遊びですが、腹は満たさずとも人間の好奇心を満たす限り、役に立たないとは言えない。では、好奇心すら刺激しない純粋な虚学とはなんじゃらほいと考えると、それはもはや無と言って良いものであり、それはそれで面白がってしまうのが科学者なのかもしれません。

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