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テザー問題と論理的思考

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テザーが問題になると毎回思うのです。

 

担保にドルがないという点ばかりに注目して、だから無価値だとか偽りだと盲目的に騒ぐ人が多すぎると。

 

彼らの中には極めて論理的であることを自負している人も多いかと思われます。

 

では、なぜドルがあるとテザーに価値が生まれるのかと聞いたらおそらくドルに価値があるからと答える。

 

では、なぜドルに価値があるのかと聞くとドルには価値があるからと答える。

 

答えになっていないよと返すと、うるせぇぶっ殺すぞと言われる。

 

怖いですね。

 

ニクソンおじさんより前の人々なら、金と兌換できるからというもう一段階だけ遡った回答をしてくれたかもしれませんが、金をはじめとした貴金属なんかも紙切れよりはマシですが、「それ自体」に本質的にあれほどの価値がある保証はないのでまだ適切な回答には至っていませんね。

 

ちなみに、金はユートピア島では便器の材料にされます。

 

私としては、金の価値もドルの価値も個々人の主観的な幻想ですが、その幻想が集合した結果として実体があるかのような効力を持っているんだと思いますよ。

 

(なお、希少性というのは単独で根本的な価値の決定因にはならないでしょうが、「欲しがられる」という状況にある最中においては強力な作用を持つのではないでしょうか。)

 

そして、集合幻想の効力で主観も補強されるので幻想は維持増進される。

 

しかし、ニクソンさんの兌換取りやめの決断が問題視されているということは貨幣に対する幻想はやはり金よりも弱いんでしょうね。

 

これは歴史の重みでしょうか。

それとも、ここで希少性がボディーブローのように効いてきているのでしょうか?

 

ともかく、テザーはドルの持つ幻想にすら至っていないからこそその権威が必要なんでしょうね。

 

だからこそ、1:1で担保にしているはずのドルが存在しない疑惑が出る度にここまでやいのやいの言われるのです。

 

本来なら、仮にドルが無かろうとみんなが強く「テザーこそはデジタルドルである」という幻想を共有していればドル並みの価値になるはずです。

 

あるいはそれを軽々と超えたりね。

 

同時に、そんなことは少なくともまずないし、自由放任でそんなことをやらせていると何かしらの大きな弊害をもたらす可能性があるから規制やら法的問題の対象にされるのでしょう。

 

さて、何かしらの理屈を元に論理的な主張をする場合、結論やそこに至るまでに経由する論理が真であるためには、何よりも先に根拠とする出発点である理屈自体について、各々の感情的な判断を経て万人がそれをひとまず正しいと見做すというプロセスが必要です。

 

公理ですね。

 

確かに、自然についての観察に基づいたごくごく素朴な主張ならば手堅いでしょう。

 

オレンジを見たときに、私の抱くオレンジ色感とあなたが抱くオレンジ色感が感覚の質的に等しい保証は無いにしろ、対応関係はおそらく共通している。

 

それゆえ、オレンジはオレンジ色であるという理屈はそこに限れば客観的です。

だからこそ、この色がオレンジ色と呼ばれるようにもなったのでしょうね。

 

だから、内心に踏み込まないのであれば「オレンジはオレンジ色をしている。」という理屈をベースとして行われる論理展開は客観的です。

 

しかし、法概念なんかにはその意味での客観性が乏しいものもある。

 

例えば、基本的人権の存在みたいなもの。

 

一体全体何を元にそれがあるという理屈を真としているのでしょうか?

 

神さまか神さまに授けられた人間理性によって定められている自然法であるという妄想もありますが、嘘ですね。

 

オレンジは「オレンジ色である」という事実から生じた客観的な理屈ですが、人権はその成立において「そうあるべき」という感情論から生まれたものです。

 

故に「全ての人間は基本的人権を持っている。」というのを始点に発せられる論理的主張は突き詰めると感情論なんですよね。

 

しかし、憲法や法律というのは一般的に全て論理的なものの極みだと思われていますよね?

それをベースにした主張は一切の感情論を挟まないとか思っている方もいる。

 

途中から思考を始めようとする怠惰な人が多いからです。

 

「条文にこう書いてあるからこうなのだ。」

 

だからテザーに関しても、なぜそれを担保するドルが無いことが問題とされるのかを考えなくとも易々と「ドルが無いからやばい!」と言えてしまうんですね。

 

ルール違反に関して自称論理的な人が批難する時、「なぜそのルールが設けられ、そして守られなければならないのか?」という背景に興味を抱かないよね、って話。

 

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Comments from NEMber
オーウェン
2019-04-27 23:52:17ID:110860

>>物愚者::さん
時代に適応するための○○から◎◎への変化。
時代によっては◎◎の方がいい場合があり、自然的に変化する。
この場合はおk。

信用を得ている大きな存在が意図的に◎◎に変化させることができる場合、健全ではない。
今あるルールは、ルールであって、ルールではなくなってしまう。
信用者の都合によって自由にルール変更が可能であるから。と。
まあ、そんな簡単にルールを変えていたらいつかその人は信用者ではなくなってしまうかもしれませんが。


私が実際にあった例は、そこまで大した話ではなく、
ただそのコミュニティの中で言葉の読み方が間違って広待ってしまって、気づいている人がいても訂正出来ない、する必要がない状況であった(おそらく)という、
軽いものなんで問題ではないと思いますがね(^^;

物愚者
2019-04-27 11:54:23ID:110665

>>マクト::さん

価格は価値そのものではないけれど、数多の他人との交流を通して何かの価値について論じたり、それに基づいた活動を行う場合は共通の指標が必要であるため、数字による記述や米ドルという基軸通貨を元に展開されるわけですな。経済って。

個人的に、別にやろうと思えば、数字でない感覚的な言語記述を評価基準として設けて、かつおぶしを基軸に展開することもできなくはないけど、ものすご〜く不公平でめんどくさいことになるからそんなのは信用されないわけですね。

物愚者
2019-04-27 11:45:19ID:110662

>>やそ::さん

(何それ知らない)

物愚者
2019-04-27 11:44:46ID:110661

>>オーウェン::さん

>あるコミュニティでは
○○のことを、◎◎と読んでいて、
私は「読み方○○なんだけどなあ。微妙に違う。」
と思ったが、、、

意味にしろ読み方にしろ、○○が◎◎へと「変化する」ことはあるし、全てのそれを誤りであると咎めるのは傲慢だと思うんですが、私としては、各時点においては「○○は○○である」という主張の方が正当だと感じるんです。

というのも、○○が◎◎であると言う人というのは、言葉は変化するものだという現象を「意図的に変化させる」ことの根拠として用いる邪な戦略家と(意識的であれ無意識的であれ)その取り巻きであることが多いから。

勿論、現段階で構築された言葉のあり方を意図的に問い直す事も時には有意義なのですが、それが急進的に共同体単位で正当化されると、昨日までの白が明日は黒を意味するような、社会的統合失調に陥るのでよろしくない。

極論はあくまでカンフル剤であって、極論自体に着地してはならないのですね。

意味、読みに限らず、漸進的に変化が「信用が出来上がる」過程だとすると、急進的な変化というのは「信用がでっち上げられる」過程のように見えます。

手作りの信用とレトルトの信用は別物として区別されなければならないでしょうね。

新井マクト 🦎🦎🦎
2019-04-26 22:40:41ID:110495

そもそもドルの値段を決めているのも結局は信用の話なんだよね。
1$が111円と決めてるのもその価値があると信用している人が多いからだし。
結局テザーも仕手にいいように利用されてあることないことふっかけられてるだけなんだよなぁ~。
それだけまだまだ暗号通貨は世間一般的に信用するにあたいしないものなんですよね~。
メ゙メ゙ダァ゙!゙
☠️☠️☠️

やそ
2019-04-26 22:20:13ID:110480

LCNEMが流行らないのも信用がないからか。

オーウェン
2019-04-26 19:09:02ID:110394

>>物愚者::さん
本物とは、やはり信用がいるんですな。

逆に真に本物で無くても信用があれば本物になれる。
と、感じたことがある。

あるコミュニティでは
○○のことを、◎◎と読んでいて、
私は「読み方○○なんだけどなあ。微妙に違う。」
と思ったが、、、

いや、そもそも読み方なんか誰も気にしてないのか。
みんなそう読んでいるから、このコミュニティではそれが正しいし、通じるからいいのか。と

物愚者
2019-04-26 17:33:54ID:110374

>>オーウェン::さん

良寛の掛け軸を飾ってたところ、専門知識がある親友に偽物だと鑑定されてホンモノ感が薄れたからとそのクソ掛け軸を刀でバラバラに切り刻んで成敗した。

ザマァみろ。

でも、思えば本物というのは絶対量が物理的に限られている以上、巷の骨董屋がやっていくためにはそこから離れて物を売る他ない。

そういえば、あの骨董屋の旦那も昔「いい茶碗」を大枚叩いて競り落としたら先輩にボロクソに貶され、買い手も付かなかったらしい。

「この茶碗、偽物なのかなぁ。
いやぁ、でも、いつみてもこの茶碗はいいんだよなぁ。

...あれ、これもしかして俺に信用無いだけじゃね?」

...。

今ではその茶碗は皆から名品だと言われるようだ。

結論、炭素分析やら文献に基づいた学術的な真贋の話と別にして、骨董品として求められるホンモノさというのは信用に起因するものなんじゃなかろうか?

小林秀雄の真贋という話。

オーウェン
2019-04-26 16:59:21ID:110367

XEMにJPYペッグがなくなり、取引所もなくなったらほぼ無価値になるんじゃないか問題。
ドルも円も宗教。

どうでもいいけど、昔、「本物とは何か」みたいな話で議論させられたことがあるんだが、
「お茶」はみんな「おちゃ」と読むよね。
それはそうやってみんなが信じてるし、決められていると思っているからそうである。
「ニセのブランドバッグ」を本物だという人がいて、みんなが信じればそれは本物になる。
みんなが信じていなくて、自分が信じているだけでもそれは本物になれるかもしれない。
というのが本物かな?ってゆーたらポカーンとされた(^^;

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二億円なんかいらない。
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