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【古事記入門】その40 応神天皇

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神功皇后の没後、息子である第15代応神天皇が即位します。

このあたりは神功皇后と建内宿禰による王朝簒奪かと邪推することも可能な、闇を含んでいそうな歴史でした。

参考→https://nemlog.nem.social/blog/20381

 

応神天皇即位後の事績はあまり語られず、後継である仁徳天皇即位に至る経緯が、事細かに記述されるようになります。

 

応神天皇の子女

 

 品陀和氣(ほむだわけ)の命、輕島の明(あきら)の宮にましまして、天の下治らしめしき。

 

応神天皇の宮は軽島の明宮(現在の奈良県橿原市)。ふたたび宮が畿内に戻ってきました。

 

さて、この天皇は大家族で、10人の妻、11人の男子と15人の女子を設けます。

なかでも重要な御子が、

  • 高木入日賣(たかぎのいりひめ)の御子:大山守命(おおやまもりのみこと)
  • 中日賣(なかつひめ)の御子:大雀命(おおさざきのみこと)
  • 宮主矢河枝比賣(みやぬしやかはえひめ)の御子:宇遲和紀郎子(うぢのわきいらつこ)

の3人。

特に宮主矢河枝比賣はとびきりの美人なので、その御子である宇遲和紀郎子が、応神天皇のお気に入りです。

 

ここに天皇、大山守命と大雀命とに問ひて詔りたまはく、
「汝等は、兄なる子と弟なる子と、いづれか愛しき」
と問はしたまひき。

天皇のこの問を發したまへる故は、宇遲和紀郎子に天の下治らしめむ御心ましければなり。

 

あるとき応神天皇は、大山守と大雀を呼んで「おまえたちは、年上の子と年下の子、どちらがかわいいと思う?」と問います。

天皇は内心で、宇遲和紀郎子を後継に指名したいという思いがあったので、兄2人の心を探ってみたのです。

 

ここに大山守の命白さく「兄なる子を愛しとおもふ」と白したまひき。

次に大雀の命は、天皇の問はしたまふ大御心を知らして、白さく「兄なる子は、既に人となりて、こは悒(いぶ)せきこと無きを、弟なる子は、いまだ人とならねば、こを愛しとおもふ」とまをしたまひき。

 

大山守は、単に子供についての雑談ととらえたようで「年上の子のほうがかわいいと思います」と答えます。

しかし大雀は、後継者の話だとピンと来たようで
「上のお兄様はすでに成人しているので、心配はありません。下の弟はまだ幼いので、これを慈しみたいと思います」と答えました。

 

ここに天皇詔りたまはく、「雀、吾君の言ぞ、我が思ほすが如くなる」とのりたまひき。

すなはち詔り別けたまひしくは「大山守の命は、山海の政をまをしたまへ。大雀の命は、食國(おすくに)の政執りもちて白したまへ。宇遲の和紀郎子は、天つ日繼知らせ」と詔り別けたまひき。

 

すると天皇は「大雀、私が言いたかったのはそれだよ!」と言って喜びます。

そして大山守には海や山の部民を司るように、大雀は天下の政治を行うように、宇遲和紀郎子は皇位を継承するようにと命じました。

つまり物事を深読みできない大山守は実務家として使い、いろいろ気の回る大雀を政治の中枢に置き、幼少の天皇を補佐させようとしたわけですね。

 

 

渡来人

 

この御世に、海部、山部、山守部、伊勢部を定めたまひき。また劒の池を作りき。

 

応神天皇の時代に、海部、山部、山守部、伊勢部という職業部を定め、また剣池(奈良県橿原市)を造成しました。

この剣池は現存し、第8代孝元天皇陵が、この池の一角にあり、『古事記』孝元天皇の段で

 

御陵は剣池の中の岡の上にあり。

と記述されています。

 

つまり孝元天皇の時代には剣池がすでに存在したわけで、応神天皇の時代に行われたのは拡張工事だったという説もあります。

しかしそもそも孝元天皇じたいが「欠史八代」であり、記述が事実とは限らないので、あまり考えてもしょうがないという意見もあります。

 

 

また新羅人まゐ渡り來つ。ここを以ちて建内の宿禰の命、引き率て、堤の池に渡りて、百濟の池を作りき。

 

また新羅人が渡来してきたので、建内宿禰が彼らを率いて「百済池」を作らせました。

この池の場所ははっきりせず、新羅人が作ったのになぜ「百済池」なのかも謎なところです。
同じものか分かりませんが『日本書紀』には、高麗・新羅・任那・百済人を率いて建内宿禰が作らせた「韓人池」についての記述があります。
この時期に、大陸の灌漑技術を積極的に取り入れようとしていたのだと思われます。

 

また百濟の國主照古王、牡馬壹疋(ひとつ)、牝馬壹疋を、阿知吉師(あちきし)に付けて貢りき。この阿知吉師は阿直(あち)の史等が祖なり。また大刀と大鏡とを貢りき。

また百濟の國に仰せたまひて、「もし賢し人あらば貢れ」とのりたまひき。かれ命を受けて貢れる人、名は和邇吉師(わにきし)、すなはち論語十卷、千字文七一卷、并はせて十一卷を、この人に付けて貢りき。

 

百済の照古王が、アチキシなる人物を遣いに立てて、牡馬・牝馬一頭ずつ、太刀、大鏡を献上してきました。

また「百済に賢人がいれば、こちらに寄越しなさい」と命じたところ、ワニキシという人物が論語一巻、千字文十巻を携えてやって来ました。

 

この頃は武力では朝鮮半島と渡り合えたかもしれませんが、知識や技術は相変わらず大陸から輸入するものでしたから「賢人」というのもかなり貴重な財産だったんですね。

 

 

 

そんなわけで応神天皇の治世から、後継者選定と渡来人について取り上げました。

 

現代の感覚からすると、素直に長男に継承させておけばトラブルも起こらないだろうに、と思いがちですが、昔はどちらかというと「末子相続」が原則だったようです。

ところが、ワニキシが論語を持ちこんだ事実が象徴するように、このころ大陸から「長幼の序」を説く儒教が持ち込まれ、次の仁徳天皇の代からは、皇位は原則として長子相続になっていきます。

したがって応神天皇の代は、その次代の転換点に当たるわけで、次回は案の定、皇位継承のゴタゴタが発生します。

 

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