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【古事記入門】その41 応神天皇の後継者

nem7.20xem (3) 212 2 0

前回の記事では、応神天皇の後継にまだ幼い宇遲和紀郎子が指名されたこと、そして大陸から「長子相続」を説く儒教がもたらされ、価値観の転換点にあったことを紹介しました。

 

今回は、応神天皇の後継をめぐる、3人の御子

  • 大山守
  • 大雀
  • 宇遲和紀郎子

の話です。

 

大山守の反逆

 

かれ天皇崩りましし後に、大雀の命は、天皇の命のまにまに、天の下を宇遲の和紀郎子に讓りたまひき。

ここに大山守の命は、天皇の命に違ひて、なほ天の下を獲むとして、その弟皇子を殺さむとする心ありて、竊(みそか)に兵を設けて攻めむとしたまひき。

 

応神天皇が崩御すると、言われていたとおりに大雀は宇遲和紀郎子に天下を譲ります。

しかし大山守は天皇の座を諦めきれず、宇遲和紀郎子を暗殺しようと考え、ひそかに兵を集めます。

 

この動きに感づいた大雀は、これを宇遲和紀郎子に伝えます。

 

かれ聞き驚かして、兵を河の邊べに隱し、またその山の上に、絁垣(きぬがき)を張り、帷幕(あげばり)を立てて、詐りて、舍人を王になして、露に呉床(あぐら)にませて、百官、敬ひかよふ状、既に王子のいまし所の如くして、更にその兄王の河を渡りまさむ時のために、船楫(かぢ)を具へ飾り、また佐那葛(さなかづら)の根を臼搗(うすづ)き、その汁の滑を取りて、その船の中の簀椅(すばし)に塗りて、蹈みて仆るべく設けて、その王子は、布の衣褌を服きて、既に賤人の形になりて、楫を取りて立ちましき。

 

宇遲和紀郎子は、大山守を返り討ちにすべく、一計を案じます。

河原に兵士を隠れさせ、川を渡ったところの丘の上に立派な幕を張って「王子の居場所」だとアピールし、影武者を座らせておきます。

さらに自分はみすぼらしい格好をして船頭に化けて、葛の根っこのヌルヌルを船の床に塗って待機しました。

 

ここにその兄王、兵士を隱し伏せ、鎧を衣の中に服せて、河の邊に到りて、船に乘らむとする時に、その嚴飾れる處を望けて、弟王その呉床にいますと思ほして、ふつに楫を取りて船に立ちませることを知らず

 

大山守は衣の下に鎧を着て、兵士を隠してやって来ました。

そして丘の上に宇遲和紀郎子がいると思いこんで、船に乗り込みます。

 

渡りて河中に到りし時に、その船を傾かたぶけしめて、水の中に墮し入れき。ここに浮き出でて、水のまにまに流れ下りき。すなはち流れつつ歌よみしたまひしく

ちはやぶる
宇治の渡に
棹取りに
速けむ人し
わが伴に來む

 

川の中ほどまで渡ったところで、船頭に化けた宇遲和紀郎子が、船を傾けます。

船の床を滑りやすくしていた効果もあり、大山守は転んで川に落ちてしまいました。
鎧を着ていてうまく泳げない大山守は、流されながら、助けを求めて歌を詠みます。

 

荒ぶる流れの
宇治の渡しで
棹を取って
船を操るのが速い人よ
私を助けに来ておくれ

 

こういうとっさの場面でもつい歌が出てしまうのが、やんごとなき身分の方の教養なんでしょうかね(笑)

 

ここに河の邊に伏し隱れたる兵、彼廂此廂(あなたこなた)、一時に興りて、矢刺して流しき。

かれ訶和羅(かわら)の前に到りて沈み入りたまふ。かれ鉤を以ちて、その沈みし處を探りしかば、その衣の中なる甲に繋りて、かわらと鳴りき。
かれ其所そこに名づけて訶和羅の前といふなり。

 

しかし大山守の助けを求める声に呼応して現れたのは、宇遲和紀郎子が隠した兵たちでした。
四方八方から矢を射掛けられ、大山守は水の底に沈んでしまいます。

 

後ほど死体を引き上げようと、鉤棒を持って水の底を探っていたところ、大山守が着ていた鎧にぶつかって「かわら」と音が鳴りました。
これにちなんで、そのあたりの地名を「かわら」と呼びます。

 

とのことですが、この「かわら」がどこなのかはハッキリしません。

京都府綴喜郡河原村という説もありますが、河原村は木津川沿い、今回の事件は宇治川沿いなので、場所が違います。

 

皇位の譲り合い

 

ここに大雀の命と宇遲の和紀郎子と二柱、おのもおのも天の下を讓りたまふほどに、海人(あま)大贄を貢りつ。ここに兄は辭びて、弟に貢らしめたまひ、弟はまた兄に貢らしめて、相讓りたまふあひだに既に許多の日を經つ。かく相讓りたまふこと一度二度にあらざりければ、海人は既に往還に疲れて泣けり。

 

こんなことがあったのですが、残った大雀と宇遲和紀郎子は、皇位を譲り合ってしまいます。

あるとき、漁師が「帝にごちそうを献上します」と言って来たのですが、大雀は弟に献上せよと言い、宇遲和紀郎子は兄に献上せよと言います。

互いに譲り合うこと一度や二度でなく、漁師は2人のあいだを行ったり来たりする間に何日も経ち、疲れて泣いてしまいました。

 

思わず「落語でもやってんのか」とツッコみたくなりますが、まさに「井戸の茶碗」という、似たような話があります。

 

然れども宇遲の和紀郎子は早く崩りましき。かれ大雀の命、天の下治らしめしき。

 

結局、宇遲和紀郎子は早死にしてしまい、大雀が第16代仁徳天皇として即位します。

 

 

「仁徳天皇」は、教科書などでも聞いたことがあるかもしれません。
日本最大の古墳である大仙古墳が、この仁徳天皇の陵墓とされています。

徳の高い聖帝である一方で、ヤキモチ焼きな奥さんが巻き起こすトラブルなんかもありました。

ではその仁徳天皇について見ていきたいところなのですが、ここで唐突に神話っぽい昔の話が挿入されます。
次回はその「アメノヒボコ」の話。

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Comments from NEMber
珈琲ねむりや
2019-05-08 19:05:00ID:114740

>>やそ::さん
確かに「辞世の句」はちょっと憧れます!

wikipediaによれば、辞世を意識して歌を詠むようになるのは中世からっぽいですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/辞世
今回の大山守も助けを求めてる歌だし、概して古事記の人たちは往生際が悪いような気がしますw
wikiにある柿本人麻呂とか在原業平の歌を見ても、中世以前の人たちは未練タラタラで死んでいくし、それを素直に表現してるような気がしますね。

ケツから剣を刺されたクマソタケルなんかは例外的に潔く死にましたがw

やそ
2019-05-08 18:15:38ID:114714

死ぬ間際でもどんなに急いでても和歌を読めるそんなゆとりを持って生きたいです。
せめて辞世の句くらいは詠めるように生きたいもので。

辞世の句とかって、こういう神話の時代からの流れなんですかね?

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