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【名言】太宰治作品名言集2

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前回は太宰の前期作品から名言を列挙しました。今回は2ということで中期の作品を中心に挙げていきたいと思います。
中期作品といえば太宰がバリバリ職業作家として数々の名作を一気に生み出した時期なので数も自然と多くなると思いますがご了承ください。


「愛と美について」

 

「人間のうちで、一ばんロマンチックな種属は老人である、ということがわかったの。老婆は、だめ。おじいさんで無くちゃ、だめ。おじいさんが、こう、縁側にじっとして坐っていると、もう、それだけで、ロマンチックじゃないの。素晴らしいわ。」

 

「人は、生活に破れかけて来ると、どうしても何かの予言に、すがりつきたくなるものでございます。悲しいことでございます。」

 

「けれども幸福は、それをほのかに期待できるだけでも、それは幸福なのでございます。いまのこの世の中では、そう思わなければ、なりませぬ。」

 

「幸福は、まだまだ、おあずけでございます。変化は、背後から、やって来ました。とんとん、博士の脊中を軽く叩いたひとがございます。こんどは、ほんとう。」

 

〈補足〉
この作品は以前にも取り上げました。個人的に一番好きな作品なんですが、その理由は引用からもわかるように、太宰作品の中で唯一と言っていいほど、ロマンスと幸福、そして少しの侘しさのみを愛情たっぷりと描いているからです。
面白いのは太宰自身この作品について、後に「愛と美について」と同じ設定で書いた「ろまん灯籠」の最初に、「愛と美について」は軽薄な作品と思いながらも最も愛着を持っていると述べてるところなんですね。暗澹とした物語が目立つ太宰がこのように語るのは中々興味深いです。

 


「女生徒」

 

嘘をつかない人なんて、あるかしら。あったら、その人は、永遠に敗北者だ。

 

自分の個性みたいなものを、本当は、こっそり愛しているのだけれども、愛して行きたいとは思うのだけど、それをはっきり自分のものとして体現するのは、おっかないのだ。

 

美しく生きたいと思います。

 

明日もまた、同じ日が来るのだろう。幸福は一生、来ないのだ。それは、わかっている。けれども、きっと来る、あすは来る、と信じて寝るのがいいのでしょう。

 

幸福は一夜おくれて来る。

 

幸福を待って待って、とうとう堪え切れずに家を飛び出してしまって、そのあくる日に、素晴らしい幸福の知らせが、捨てた家を訪れたが、もうおそかった。幸福は一夜おくれて来る。幸福は、――

 

おやすみなさい。私は、王子さまのいないシンデレラ姫。あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか? もう、ふたたびお目にかかりません。

 

〈補足〉
こちらも以前取り上げた作品ですね。「女生徒」は太宰作品の中でも大変人気の高い作品ですが、その所以は引用からもわかるこの少女特有の軽みのある口調とふわふわとしていて何処か芯を突くような言葉たちだと思います。

 


「葉桜と魔笛」

 

僕たち、さびしく無力なのだから、他になんにもできないのだから、せめて言葉だけでも、誠実こめてお贈りするのが、まことの、謙譲の美しい生きかたである、と僕はいまでは信じています。

 

タンポポの花一輪の贈りものでも、決して恥じずに差し出すのが、最も勇気ある、男らしい態度であると信じます。僕は、もう逃げません。僕は、あなたを愛しています。

 

姉さん、ばかにしないでね。青春というものは、ずいぶん大事なものなのよ。

 

〈補足〉
この作品は何とも切ない作品で、いつか記事でも取り上げたいと思います。
引用にもあるように、この頃の作品ではかなり「言葉」というものに注目しており、「愛の表現技法としての言葉」というものにかなり言及していました。

 


「畜犬談」

 

「芸術家は、もともと弱い者の味方だったはずなんだ」

 

「弱者の友なんだ。芸術家にとって、これが出発で、また最高の目的なんだ。こんな単純なこと、僕は忘れていた。僕だけじゃない。みんなが、忘れているんだ。僕は、ポチを東京へ連れてゆこうと思うよ。友がもしポチの恰好を笑ったら、ぶん殴ってやる。」

 

〈補足〉
こちらも以前取り上げましたね。「芸術」と「芸術家」については太宰がその文学人生に於いて幾度も言及した重要なワードでありますが、ここではそれについて改めて問い直し一つの結論を導き出していました。

 


「火の鳥」

 

だけど、いいかい、真実というものは、心で思っているだけでは、どんなに深く思っていたって、どんなに固い覚悟を持っていたって、ただ、それだけでは、虚偽だ。いんちきだ。胸を割ってみせたいくらい、まっとうな愛情持っていたって、ただ、それだけで、だまっていたんじゃ、それは傲慢だ、いい気なもんだ、ひとりよがりだ。

 

真実は、行為だ。愛情も、行為だ。表現のない真実なんて、ありゃしない。愛情は胸のうち、言葉以前、というのは、あれも結局、修辞じゃないか。

 

真理は感ずるものじゃない。真理は、表現するものだ。時間をかけて、努力して、創りあげるものだ。愛情だって同じことだ。自身のしらじらしさや虚無を堪えて、やさしい挨拶送るところに、あやまりない愛情が在る。愛は、最高の奉仕だ。

 

ほんとうの自信というものは、自分ひとりの明確な社会的な責任感ができて、はじめて生れて来るものじゃないのか。

 

ああ、聞きたくない、聞きたくない。あなたまで、そんな、情ないことおっしゃる。ずるい、ずるい。意気地がない。臆病だ。負け惜しみだ。ああ、もう、理屈は、いやいや。世の中の人たちは、みんな優しい。みんな手助けして呉れる。冷く、むごいのは、あなたたちだけだ。どん底に蹴落すのは、あなたたちだ。負けても、嘘ついて気取っている男だけが、ひとのせっかくの努力を、せせら笑って蹴落すのだ。

 

〈補足〉
この作品は未完のまま終わっているのですが、ここでも「言葉」や「愛」について言及していますね。「愛と美について」の約二年前に執筆し始め結局終わらせることなく書き下し短編集『愛と美について』に収録されたのですが太宰は後にこの作品について自身を慕っていた別所直樹に「なかなか難しいんだよ」と語っています。

 


「花燭」

 

弱いから、貧しいから、といって必ずしも神はこれを愛さない。その中にも、サタンがいるからである。強さの中にも善が住む。神は、かえってこれを愛する。

 

「自身の行為の覚悟が、いま一ばん急な問題ではないのでしょうか。ひとのことより、まずご自分の救済をして下さい。そうして僕たちに見せて下さい。目立たないことであっても、僕たちは尊敬します。どんなにささやかでも、個人の努力を、ちからを、信じます。」

 

来た。待っていたものが来た。新しい、全く新しい次のジェネレーションが、少しずつ少しずつ見えて来た。

 

〈補足〉
こちらも「火の鳥」同様短編集『愛と美について』に収録された作品になります。
この作品は若者、次の世代、時代の変わり目、自身の価値観の変化が綴られており、太宰の生きる気力が感じられる作品になっています。機会があればこの作品も別で取り上げたいです。

 


「秋風記」

 

僕には、花一輪をさえ、ほどよく愛することができません。ほのかな匂いを愛ずるだけでは、とても、がまんができません。突風の如く手折って、掌にのせて、花びらむしって、それから、もみくちゃにして、たまらなくなって泣いて、唇のあいだに押し込んで、ぐしゃぐしゃに噛んで、吐き出して、下駄でもって踏みにじって、それから、自分で自分をもて余します。自分を殺したく思います。

 

〈補足〉
続いてこちらも短編集『愛と美について』に収録された作品となります。短編集『愛と美について』は前書きの「読者に」と「秋風記」「新樹の言葉」「花燭」「愛と美について」「火の鳥」が収録されていますが、「愛と美について」や「花燭」に比べこの作品はかなり暗めの作品です。一応最後に希望のあるような描写は見られるのですが、現在の研究では出版するにあたり短編集のタイトルである『愛と美について』に合わないので後から付け足したのではないのか説が有効になっています。
この作品もまた別記事で色々言及できたらと思います。

 


「八十八夜」

 

「いや、生きていること。みんな、なつかしいんだ。理由なんて、ないんだ。みんなに対して、ありがとう。いや、一瞬間だけの気持かも知れない。」

 


「女の決闘」

 

私は、世の学問というものを軽蔑して居ります。たいてい、たかが知れている。ことに可笑しいのは、全く無学文盲の徒に限って、この世の学問にあこがれ、「あの、鴎外先生のおっしゃいますることには、」などと、おちょぼ口して、いつ鴎外から弟子のゆるしを得たのか、先生、先生を連発し、「勉強いたして居ります。」と殊勝らしく、眼を伏せて、おそろしく自己を高尚に装い切ったと信じ込んで、澄ましている風景のなかなかに多く見受けられることである。あさましく、かえって鴎外のほうでまごついて、赤面するにちがいない。

 

鴎外は、ちっとも、むずかしいことは無い。いつでも、やさしく書いて在る。かえって、漱石のほうが退屈である。鴎外を難解な、深遠のものとして、衆俗のむやみに触れるべからずと、いかめしい禁札を張り出したのは、れいの「勉強いたして居ります。」女史たち、あるいは、大学の時の何々教授の講義ノオトを、学校を卒業して十年のちまで後生大事に隠し持って、機会在る毎にそれをひっぱり出し、ええと、美は醜ならず、醜は美ならず、などと他愛ない事を呟き、やたらに外国人の名前ばかり多く出て、はてしなく長々しい論文をしたため、なむ学問なくては、かなうまい、としたり顔して落ちついている謂わば、あの、研究科の生徒たち。そんな人たちは、窮極に於いて、あさましい無学者にきまっているのであるが、世の中は彼等を、「智慧ある人」として、畏敬するのであるから、奇妙である。

 

私は若くて美しい。いや美しくはないけれど、でも、ひとりで生き抜こうとしている若い女性は、あんな下らない芸術家に恋々とぶら下り、私に半狂乱の決闘状など突きつける女よりは、きっと美しいに相違ない。

 

真実は、家庭の敵。嘘こそ家庭の幸福の花だ、と私は信じていた。この確信に間違い無いか。

 

女性にとって、現世の恋情が、こんなにも焼き焦げる程ひとすじなものとは、とても考えられぬ事でした。

 

〈補足〉
この作品は構成が中々面白く、森鴎外の「女の決闘」を太宰自身が解説と補足、改変をしながら読み進めていくというものになります。しかし、途中からは完全に太宰節が炸裂しており、よくこの話をこんな書き方したなってうのが正直な感想です。やはり太宰は読者にスキを与えるのが上手いなと思いました。

 


「I can speak」

 

I can speak というその酔漢の英語が、くるしいくらい私を撃った。はじめに言葉ありき。よろずのもの、これに拠りて成る。ふっと私は、忘れた歌を思い出したような気がした。たあいない風景ではあったが、けれども、私には忘れがたい。

 

〈補足〉
「火の鳥」執筆時のことを書いたこの作品はとても短いのですがどこか切なく、そして優しさが感じられる作品でした。
また、引用にもある「はじめに言葉ありき。よろずのもの、これに拠りて成る。」は旧約聖書の言葉と思われますが、熱心に聖書を勉強していた太宰は「火の鳥」からもわかるように、このあたりから「言葉」というものに対してかなり頻繁に言及するようになります。

 


「家庭の幸福」

 

曰く、家庭の幸福は諸悪の本。

 


「ヴィヨンの妻」

 

「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」

 


「お伽草子」

 

信じる事は、下品ですか。信じる事は、邪道ですか。どうも、あなたがた紳士は、信じない事を誇りにして生きてゐるのだから、しまつが悪いや。それはね、頭のよさぢやないんですよ。もつと卑しいものなのですよ。吝嗇といふものです。

 

好き嫌ひは理窟ぢや無いんだ。あなたに助けられたから好きといふわけでも無いし、あなたが風流人だから好きといふのでも無い。ただ、ふつと好きなんだ。

 

年月は、人間の救ひである。
忘却は、人間の救ひである。

 

思ひ出は、遠くへだたるほど美しいといふではないか。

 

〈補足〉
「お伽草子」は太宰の代表作の一つですね。なんと言っても面白い。「こぶ取り爺さん」「浦島太郎」「かちかち山」「舌切り雀」といった誰もが知ってる昔話を太宰がアレンジしたものです。どれも笑えて、どこか切なさを感じさせる大変面白く完成度の高い作りになっています。
この作品は必ず別にしっかりと扱いたいですね。

 


「新ハムレット」

 

だって人は、本当に愛して居れば、かえって愛の言葉など、白々しくて言いたくなくなるものでございます。愛している人には、愛しているのだという誇りが少しずつあるものです。黙っていても、いつかは、わかってくれるだろうという、つつましい誇りを持っているものです。

 

言葉の無い愛情なんて、昔から一つも実例が無かった。本当に愛しているのだから黙っているというのは、たいへん頑固なひとりよがりだ。好きと口に出して言う事は、恥ずかしい。それは誰だって恥ずかしい。けれども、その恥ずかしさに眼をつぶって、怒濤に飛び込む思いで愛の言葉を叫ぶところに、愛情の実体があるのだ。

 

言葉のない愛情なんて、古今東西、どこを捜してもございませんでした、とお母さんに、そう伝えてくれ。愛は言葉だ。言葉が無くなれや、同時にこの世の中に、愛情も無くなるんだ。愛が言葉以外に、実体として何かあると思っていたら、大間違いだ。

 

〈補足〉
「新ハムレット」は長編でありかなり読むのに体力がいるのですが、この作品が面白いのは「愛」についての考えを二つ出した上で、片方を主人公が思いっきり否定してるところなんですね。太宰作品に登場しがちな主人公ハムレットが「黙ったままの愛情」を全力否定することはかなり意味があるのではと思います。「火の鳥」に通じるところがありますね。

 


「パンドラの匣」

 

小さく首肯いて、顔を挙げた。その顔が、よかった。断然、よかった。完全の無表情で鼻の両側に疲れたような幽かな細い皺が出来ていて、受け口が少しあいて、大きい眼は冷く深く澄んで、こころもち蒼ざめた顔には、すごい位の気品があった。この気品は、何もかも綺麗にあきらめて捨てた人に特有のものである。

 

献身とは、ただ、やたらに絶望的な感傷でわが身を殺す事では決してない。大違いである。献身とは、わが身を、最も華やかに永遠に生かす事である。人間は、この純粋の献身に依ってのみ不滅である。

 

この道は、どこへつづいているのか。それは、伸びて行く植物の蔓に聞いたほうがよい。蔓は答えるだろう。
「私はなんにも知りません。しかし、伸びて行く方向に陽が当るようです。」
さようなら。

 

〈補足〉
こちらも私が大好きな作品であるのですが、その理由は「愛と美について」同様、明るいからです。しかし、陰りの全くなかった「愛と美について」とは違いこの作品では時代の転換に目をつけて我々こそが新しい世代であると若者へのメッセージも込められているところが大きなポイントだと思います。「花燭」に近い感じですね。しかし「花燭」よりはもっと希望に満ちていて明るく、そしてその「新しい世代」「希望」について具体的に書かれている印象です。

 


まとめ

かなりのボリュームになってしまいましたが、やはり中期作品は大量に発表されたこともあり作品数が多く、それに伴って前期と比べ余計なものが削られてより言葉に軽みを感じられます。太宰の才能が目に見えてわかる作品が多いですね。
この頃に書かれた作品はどれも比較的短く面白い作品ばかりなので是非手にとってみてください。

 

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Comments from NEMber
Yonnsann
2019-05-25 02:00:34ID:119894

>>7zoesan::さん
「美しく生きたいと思います」は良い言葉ですよね。これを少女が言うのがまた良いです。

「愛と美について」は短いですし読みやすいと思います!
太宰作品は短い作品は明るくて読みやすいのが多いので、興味がありましたら是非他の作品も読んでみてください。
著作権切れてるので全部タダで読めます^^

7zoesan
2019-05-24 22:10:56ID:119863

シンプルに「美しく生きたいと思います」はいいですね。愛と美については読んでみたいと思いました。(暗い作品は苦手・・)

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ネムログ気になったのでライブドアブログからいくつか移行します。

趣味は読書(特に太宰治)、アニメ鑑賞(特に幾原作品)、京都観光。
京都には足繁く通っているので色んな情報を提供できたらと思います。

また、教育実習、学校教員(少しですが)を経験して思ったことも少し書けたら良いと思います。

現在はwebデザインを勉強中。
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