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佐賀の偉人達の銅像(No.5〜No.8)

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佐賀駅から降りて南の道には、県庁まで繋がる道(中央通り)があります。

その中央通りには、佐賀の偉人の銅像があります。
その銅像を紹介します。
銅像の数が多いので、No.1からNo.12と分けて紹介します。
前回(No1〜No,4)はこちらです!!


今回は、No,5からNo,8までを紹介します。

 

No,5 日本の近代建築の先駆者

 

 

辰野金吾(たつの きんご)

建築家、教育者。唐津出身。1873(明治6)年、工部大学校(現東京大学工学部)第1期生として入学。イギリス人建築家ジョサイア・コンドルのもとで、同期生の曾禰達蔵らと共に、西洋建築を学んだ日本人初の建築家の一人。イギリス留学を経て、工部大学校教授に就任し、多くの建築家を育てる。また、造家学会(現日本建築学会)を創設するなど、建築界の発展に努力した。
 建築家として、国の重要文化財である日本銀行本店、東京駅などの代表作ほか多数の建造物を残している。辰野の作である武雄温泉・楼門には、東京駅のドーム天井にある八角形の干支のレリーフの、抜けている4匹の動物(干支)が残存している。


曾禰達蔵(そね たつぞう)

建築家。唐津の同郷の辰野金吾と共に工部大学校(現東京大学工学部)に入学し、イギリス人建築家ジョサイア・コンドルのもとで西洋建築を学んだ、日本人初の建築家の一人。
 卒業後、工部大学校助教授、海軍省をへて三菱社に入社。東京丸の内に三菱一号館をはじめとするビル群を建造し、「一丁倫敦(ロンドン)」と呼ばれた煉瓦造のオフィスビル街の基礎を手掛けた。三菱社を辞めた後は「曾禰中條建築事務所」を開設し、国の重要文化財である慶應義塾図書館旧館などを残している。

No,6 明治時代を代表する書家

 

中林梧竹(なかばやしごちく)


近代書道の祖、「明治三筆」の一人。小城出身。幼い頃から書の才能を発揮し、10代で江戸に遊学し書を学ぶ。帰藩後は、小城藩校興譲館の指南役などを務める。1882(明治15)年、中国に渡り、北京の潘存に師事。六朝書体や墨絵の技法を学び、芸術性豊かな書風を確立、明治書壇に新しい風を吹き込む。
 1891(明治24)年、副島種臣の勧めにより、王羲之の十七帖臨書を明治天皇に献上する。健脚だった中林は、1898(明治31)年、72歳(数え年)の時に富士山頂に、「鎮國之山」を陽刻した銅碑を建立した。

 

No,7 青年教育の尽力した社会教育家

 

 

田澤義鋪(たざわ よしはる)

社会教育家。鹿島市出身。青年教育に力を注ぎ、「青年団の父」と呼ばれる。1909(明治42)年、東京帝国大学(現東京大学)を卒業後、内務省に入省。翌年、25歳で静岡県安倍郡の郡長に就任。学校とは無縁だった地方農村の青年たちに教育や自己修練の場を与える活動に力を注ぎ、青年団を指導。
 1931(昭和6)年、東京都小金井の浴恩館に青年団講習所を開設。郷里の盟友だった下村湖人を講習所長に迎え、ともに青年教育に従事した。その後、日本青年館ならびに大日本連合青年団の理事長を務めた。公明選挙運動や労使協調運動にも尽力した。


下村湖人(しもむら こじん)


教育者、小説家。神埼出身。熊本の旧制第五高等学校で田澤義鋪と出会い、終生の友となる。東京帝国大学(現東京大学)を卒業後、母校の旧制佐賀中学校で教鞭をとり、旧制の鹿島中、唐津中、台中第一中、台北高校の校長などを歴任。1933(昭和8)年、盟友の田澤義鋪が開設した青年団講習所の所長となり、共に青年教育に従事。
 小説家としても、青少年の成長を描いた自伝的小説「次郎物語」や、田澤義鋪の生涯を描いた「この人を見よ」などの作品を残している。

 

No,8 日本の工学・化学分野の先駆者

 

 

志田林三郎(しだりんざぶろう)

日本の電気工学の祖。多久出身。1873(明治6)年に工部大学校(現 東京大学工学部)の第1期生となる。ウイリアム・エアトン等の下で、世界初の電気工学専門の高等教育機関であった電信科で学び、首席で卒業。1880(明治13)年、イギリスのグラスゴー大学に国費で留学し、最優秀論文賞を受賞。
 帰国後は、工部大学校教授の傍ら、工部省の技術官僚としても活躍。1888(明治21)年、自ら創設した電気学会では、電気工学の発展がもたらす将来の技術社会を予見した演説に見られるように、高い先見性を持っていた。

黒田チカ

女性の化学分野での日本初の理学博士。佐賀市出身。1901年(明治34年)に佐賀県師範学校(現佐賀大学文化教育学部)女子部を卒業、1年の義務奉職を経て1902年(明治35)年、上京して女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)理科に入学。卒業後、福井県師範学校女子部に勤めた後、母校研究科に学び、東京女子高等師範学校に改称した母校で助教授となる。
 1913(大正2)年、29歳で東北帝国大学(現東北大学)化学科に入学し、最初の帝国大学の女子大学生の一人となる。卒業研究による紫根色素の構造決定を、東京化学会で発表した。イギリス・オックスフォード大学留学後、母校の女高師で教鞭をとりつつ、1923(大正13)年から理化学研究所で紅花色素の研究を行う。その研究により1929(昭和4)年、45歳で理学博士となる。「紅(べに)の博士」の名で呼ばれる。


次回は、No.9以降を紹介します!!

 

この記事は、matsunoさんの銅像紹介をしようというイベントの参加記事です。

 

 

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Comments from NEMber
YUTO
2019-06-07 09:05:16ID:123583

>>matsuno@漆黒の::さん
銅像が多くて、びっくりです!!

YUTO
2019-06-06 21:37:58ID:123461

>>7zoesan::さん
佐賀には、見渡すと、銅像が意外に多いのに気付きましたww
特に恵比寿さん像が半端なく多いです!!

7zoesan
2019-06-06 21:27:30ID:123457

多い笑!!佐賀銅像ダントツ多い説ですね。

YUTO
2019-06-06 21:09:18ID:123450

>>やってみよう::さん
一昨年くらい前に、銅像が並ぶようになりました!!
初めはあまり興味がなかったけど、実際に見に言ったら、意外に佐賀にも偉人がいるんだなと感じました。

やってみよう
2019-06-06 21:04:54ID:123449

一本の通りに銅像が並んでるのは面白いですね。
ベンチに座ってるの、愛らしいです。

YUTO
2019-06-06 21:01:16ID:123448

>>ゼム🦈ゼム::さん
結構、佐賀は偉人が多いと感じました!!
第3弾(ラスト)を楽しみに!!

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