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「学問のすすめ」のススメ①

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2019-07-03 22:25:20
「学問のすすめ」のススメ①

今年4月9日、2024年に現在の紙幣を刷新して新紙幣に移行することが発表されました。

新紙幣の顔ぶれといえば1万円が渋沢栄一、5千円が津田梅子、千円が北里柴三郎となっています。

私の物心とともに1万円は福澤諭吉であり、お金の象徴である「ゆきち」。

昭和59年から現在まで、30年以上も日本の紙幣の最高峰1万円に君臨していた福澤諭吉とはいったいどんな人物だったのか、よくよく考えてみると、慶應義塾を作った人、勉強は大事だよと言った人、天は人の上に人を造らずといった人、学問のすすめという本を書いた人といった情報しか持ち合わせていませんでした。

これだけ1万円にお世話になっておきながらこれは恥ずかしいと思い「学問のすすめ」を手に取りました。

文語は読みにくいので齋藤 孝著の現代語訳「学問のすすめ」から福澤諭吉の人物像について学び、現代に生きるわれわれにどんなメッセージを残していったのかを考えてみたいと思います。

 

福澤諭吉という人物

 

福澤 諭吉(1835ー1901年は、天保5年12月12日、豊前国中津藩(現:大分県中津市)の蔵屋敷で下級藩士・福澤百助と妻・於順の次男(末子)として生まれます。諭吉という名の由来は、儒学者でもあった父が『上諭条例』(清の乾隆帝治世下の法令を記録した書)を手に入れた夜に彼が生まれたことにより名付けられました。

親兄弟や当時の一般的な武家の子弟と異なり、神仏を敬うという価値観はもっていなかったようで、お札を踏んでみたり、神社で悪戯をしてみたりと、悪童まがいのはつらつとした子供だったようです。

5歳ごろから藩士・服部五郎兵衛に漢学と一刀流の手解きを受け始め、初めは読書嫌いでしたが、14、5歳になってから近所で自分だけ勉強をしないというのも世間体が悪いということで勉学を始めます。18歳になると、兄・三之助も師事した野本真城、白石照山の塾・晩香堂へ通い始め、『論語』『孟子』『詩経』『書経』はもちろん、『史記』『左伝』『老子』『荘子』と古典を中心に学び、特に『左伝』は得意で15巻を11度も読み返して面白いところは暗記したというエピソードも残っています。勉強するのに中学生ぐらいからでも遅くないということですね。

安政元年(1854年)、19歳で長崎へ遊学して蘭学を学びます。安政2年(1855年)に大阪へ戻り、蘭学者・緒方洪庵の適塾(適々斎塾、のちの大阪大学)で学ぶこととなります。ところが腸チフスを患い、一時中津へ帰国し、さらに兄の死という不幸が続き、家督を次ぐことになりますが、大阪遊学をあきらめきれず、父の蔵書や家財道具を売り払って借金を完済したあと、母以外の親類から反対されるもこれを押し切って大坂の適塾で学ぶことにします。学費を払う経済力はなかったため、築城学の教科書を翻訳するという名目で適塾の食客として学びを続けました。

後のお金の象徴となる人物がお金に困っていたということはなかなか興味深いですね。

安政4年(1857年)には最年少22歳で適塾の塾頭となり、適塾ではオランダ語の原書を読み、あるいは筆写し、時にその記述に従って化学実験、簡易な理科実験などもしていたようです。適塾は、医学塾ではあったが、諭吉は医学を学んだというよりはオランダ語を学んだということのようであり、また工芸技術にも熱心だったようで、さまざまな実験の記述も残っているようです。

安政5年(1858年)、中津藩から江戸出府を命じられ、蘭学塾の講師となるために江戸へ出て、この蘭学塾「一小家塾」がのちの学校法人慶應義塾の基礎となりました。そのためこの年が慶應義塾創立の年とされています。

安政6年(1859年)、日米修好通商条約により外国人居留地となった横浜出向いたところ、諭吉自身が学んできたオランダ語がまったく通じず、英語の必要性を痛感した諭吉は、独学で英語の勉強を始め、万延元年1月19日、諭吉は米軍艦の護衛艦艦長の従者としてアメリカへ行くことになります。

そこで文化の違いを肌で感じ、3年後には江戸幕府使節としてヨーロッパ各地へ来訪します。

帰国後は『西洋事情』などの著書を通じて啓蒙活動を開始し、欧米の科学的研究や病院・銀行・郵便・徴兵の制度や設備について言及し、幕府改革の必要性について述べています。

慶応3年には再渡米し、帰国後に『西洋旅案内』を書き上げます。慶応4年(1868年)には蘭学塾を慶應義塾と名づけ、教育活動に専念するようになり、F・ウェイランド(英語版)『経済学原論』を基に経済学の講義を行うようになります。

そして、「学問のすすめ」は1872年〜1876年にかけて全十七編の分冊として発行され、1880年に合本して、一冊の本として出版されます。

日本という国を飛び出し世界を見てきた諭吉が明治維新後の日本人が世界と渡り合うために必要なものは何かを説いたこの本は初版の発行依頼9年間で70万冊も売れ、当時の大ベストセラーとなります。

ここまで読んだだけでも学問で身をおこし、近代国家として歩み始めた日本と日本人のお手本となる人物であることがわかります。また、学問としての経済学を日本の輸入して、多くの優秀な学者を生み出し、近代化へ歩みを進める日本を学問によって支えた業績は、まさに1万円にふさわしい人物といえるのではないでしょうか。

 

学問のすすめ

 

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と言わられている。つまり、天が人を生み出すに当たっては、人はみな同じ権利を持ち、生まれによる身分の上下はなく、万物の霊長たる人としての身体と心を働かせて、この世界のいろいろなものを利用し、衣食住の必要を満たし、自由自在に、また互いに人の邪魔をしないで、それぞれが安楽にこの世を過ごしていけるようにしてくれているということだ。

 

冒頭、一番有名なこの文章から始まる学問のすすめですが、明治維新によって近代国家へと歩みをすすめた日本は士農工商の身分制度をなくし四民平等の政策をとるようになりました。この一文はその象徴のような一文であり、身分に関係なく自由に生きて良いのだと言います。しかし、身分の差はなくなったものの、生きるための知識や教養を身に着けていなければ結局は身分の差が生まれる、身分の差は生まれではなく、生きるための知恵や教養を学ぶか学ばないかによって出来上がるものだから「学問」が大事なんだと説きます。

つまり「学問のすすめ」とは、今まで身分の差によって十分に教育がなされていない人々に、これから平等で新しい社会を作っていくためには教養が必要であり、教養ある人が増えることで政府も厳しい政策を取る必要がなくなるから、自由が増す、自由が増せば人民も幸福になり、国が豊かになる、だから「学問」が大切であると説いた啓発本であり、その生きるための知恵をまとめた明治の教養ビジネス書なのです。

 

学問の目的

 

諭吉は学問を志す目的として本来平等である人権を取り戻すには、社会的なあり方で基本的な人権の差は生まれないと知ること、政府と平等であるためには学問を志して、無知から脱却することであり、平等を取り戻すことが学問の目的だと考えます。平等、不平等は支配者側によるものだけが原因ではなく、無知であることも原因ということは自身に原因を見出して、行動を起こすことの必要性を説いており、昨今の「責任転嫁」の風潮を見ても、諭吉の示唆はとても鋭いといえます。

 

人と人の関係は本来同等であり、この同等は現実のあり方が等しいということではなく、人権が平等であるということだ。

人が平等の人権を持っているということを忘れて、社会的な貧富・強弱というものを盾にとって強い政府が人民の権利を妨害してきた過去のせいで「切り捨て御免」などという悪法や御国恩に報いるなどといった賄賂が生まれたのだ。

しかしこのような暴力的な政府も政府が悪いばかりではない、学問もなく、ものの道理も知らず、食って寝るだけしか芸のない人間がいる。無学のくせに欲は深くて、ぬけぬけと人をだまして、法律逃れをする人間がいる。国の法律がどのようなものかも知らず、自分の仕事の責任を果たさず、子供は生むけれど、きちんと教育をするということも知らない。そんな子孫が繁栄したとすれば、国の利益にならず帰って害をなすものとなる。だから政府は暴力的にならざるを得ない。

その大元の原因は国民の「無知」でありであった自らが招いたわざわいともいえる。

だから人民がもし暴力的な政治を避けようとするのであれば、いますぐ学問を志して、自分の才能や人間性を高め、政府と同等の地位に昇るようにしなければならない。これが私のすすめる学問の目的である。

 

個人の独立と国の独立

 

諭吉は国が独立して諸外国と対等に渡り合うには、国民に独立心がなければならないといいます。

その理由として、

①独立の気概がない人間は、国を想う気持ちも浅い

②国内で独立した立場を持っていない人間は、国外に向かって外国人に接するときも、独立の権利を主張することができない

③独立の気概のないものは、人の権威をかさに悪事を為すことがある

以上の3点を挙げます。

諸外国を見学して周り、他国に比べて日本人に足りていないのは、自分の身を自分で支配して、他人に依存する心、「独立心」だと諭吉は考えました。

自分自身の物事の正しい、正しくないを判断して、間違いのない対応のできるものは他人の知恵に頼らず独立している。また、自分自身で、頭や身体を使って働いて生計を立てているものは、他人の財産に依存せずに独立している。こうした独立心がなければ責任を負うことがなく、日本国民にあってもお客さんのように振る舞う、これでは国を想う愛国心も育たず、対外国に対して国として独立しているとはいえないと諭吉はいいます。

例えば対外国人相手に貿易、商売をするものも、交渉の段階で外国人が自身の利益のために明らかに不等な条件を突きつけられたとしても、主人に従順な封建時代の性質が変わらなければ、外国人の風格に気圧され大損を出す取引に応じてしまう。これは個人の恥ならず、一国の恥といえ、そして、そのような人物は外国人に媚を打って、外国人の権威をかさに悪事を働く可能性もあります。これは国民に「独立心」がないことによって起こる災いであり、国を愛する気持ちがあるのであれば政府、民間を問わず、まず自分自身が独立するように務め、他人の独立を助けるようにするべきだと諭吉は明確に述べています。

 

国民を束縛して、政府ひとり苦労して政治をするよりも、国民を解放して、苦楽を共にしたほうがいいではないか

 

以上から諭吉は官民一体の政治を目指し、国民を巻き込むことによって、日本を外国の支配から独立させようとしたことがわかります。現代の日本はまさに諭吉が指摘した「独立心を失った国」のように見え、諭吉のこの指摘は鋭く、一国の党首さえも「独立心」を失っているようにも感じます。

安保条約の破棄をちらつかされて不利な条件を飲まされている日本、そしてその国民に「学問のすすめ」は問いかけているように思います。先日の年金問題に端を発したデモや報道のあり方を見ていると、その要因は独立心を失った国民にあり、国への依存心が強くなっているともいえるのではないでしょうか。

 

まとめ

 

明治維新の最中、国民の今までの価値観が大きく変化していく中で、世界の中の「日本」として独立していくためには「学問」が必要であると諭吉は説きました。諸外国での学びや経験を活かしながら当時の世相を鋭い眼で観察して得た諭吉の思想は現代も色褪せることなく、むしろ現代にこそ必要な思想のような気がしました。

今回は「学問のすすめ」から学問が必要な理由を中心にまとめましたが、驚くべきことに「学問のすすめ」では「ハラスメント」や「私刑」など現代でもトピックになっている問題についても書かれています。

次回はその辺りを中心にまとめてみたいと思います。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

参考図書:

福澤諭吉 著 齋藤 孝 現代語訳「学問のすすめ」

 

 

Comment
7zoesan
7zoesan
2019-07-03 22:55:35ID:130118

>>YUTO::さん
ちょっと外国かぶれみたいなとこもあったのでしょうね、この本は読みやすくてよかったです。

YUTO
YUTO
2019-07-03 22:30:20ID:130106

参考図書の本、自分も読んだ(笑)
なんか、アメリカ哲学(プラグマティズム)の考え方に似ているなと感じました!!

この記事を書いた人
北海道で理学療法士兼スポーツトレーナーとして活動しています。 これまでの臨床経験から得た気づきや学びに関すること、 日々の読書の備忘録など、徒然なるままに健康と幸福と自身の人生観についてアウトプットしていきたいと思います。 NEMはあまり関係ないことが多く、申し訳ありません!! ツイッターもはじめましたので、よかったらフォローお願いいたします。