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【古事記入門】その53 目弱王の変 1

nem107xem (5)
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2019-07-02 21:55:57
【古事記入門】その53 目弱王の変 1

近親相姦で支持を失った軽皇子に代わって人臣の支持を得た穴穂皇子は、第20代 安康天皇として即位します。

 

御子穴穗の御子、石上の穴穗の宮にましまして天の下治らしめしき。

 

宮は石上の穴穂宮。現在の穴穂神社が宮跡とされているようです。

 

天皇、同母弟大長谷王子のために、坂本の臣等が祖、根の臣を、大日下の王のもとに遣して、詔らしめたまひしくは、

「汝が命の妹若日下王を、大長谷の王子に合はせむとす。かれ獻るべし」
とのりたまひき。ここに大日下の王四たび拜みて白さく、
「けだしかかる大命もあらむと思ひて、かれ、外にも出さずて置きつ。こは恐し。大命のまにまに獻らむ」
とまをしたまひき。

 

安康天皇は、弟の大長谷王のために嫁さんをもらってやろうと考え、叔父である大日下王のところに、家来の根臣(ねのおみ)という男を遣いにやって

「あなたの妹である若日下王を、大長谷王の嫁にもらってやろうと思うから、差し出したまえ」と要求します。

大日下王は何度も頭を下げて
「こんなこともあろうかと、箱入りで大切に育てたんですよ。恐れ多いことです。仰せのとおりに、献上いたします」
と答えます。

 

然れども言もちて白す事は、それ礼なしと思ひて、すなはちその妹の礼物(ゐやじろ)として、押木の玉縵(たまかづら)を持たしめて、獻りき。

根の臣すなはちその礼物の玉縵たまかづらを盜み取りて、大日下の王を讒しまつりて曰さく、「大日下の王は大命を受けたまはずて、おのが妹や、等し族の下席(したむしろ)にならむといひて、大刀の手上(たがみ)取とりしばりて、怒りましつ」とまをしき。

 

大日下王は、言葉だけで返事をするのも不躾だと思い、遣いの根臣に玉鬘をもたせて、返事を届けさせます。

しかし根臣は、この玉鬘を自分のものにしてしまい、天皇へは「大日下王はご命令を聞き入れず、『おれの妹が、同族の下働きをするかよ』と言って、太刀を手にとって怒っていましたよ」という、とんでもない嘘の報告をします。

 

かれ天皇いたく怒りまして、大日下の王を殺して、その王の嫡妻長田の大郎女を取り持ち來て、皇后としたまひき。

 

すると天皇は激怒して、大日下王を殺して、その妻だった長田の大郎女を自分の皇后にしてしまいました。

 

と書いてありますが、長田の大郎女というのは安康天皇の同母姉だったはず。

 


軽皇子の近親相姦を断罪しておきながら、早々に姉を妻にするというのは解せない。

『日本書紀』では、この妻は履中天皇の娘で中蒂姬(なかしひめ)、またの名を長田大娘皇女、とされています。名前のよく似た別人がいたということなんでしょうか?
「長田の大郎女」は「長田のお嬢様」くらいの意味合いなので、同じように呼ばれている別人がいた可能性も否定できません。

しかし、それにしても皇后になるくらいの人物なのですから「誰それの娘」くらいの素性は書いておいてしかるべき。
だとすればやはり「允恭天皇の娘として既出だから、ここでは繰り返し書いていない」と考えるのが自然か。

後妻にもらうのはOKとか、肉体関係がなければOK的なルールがあったんでしょうか?

 

目弱王の変

 

これより後に、天皇神牀(かむとこ)にましまして、昼寢したまひき。

 

さて後日、履中天皇は神床(天皇が神様から夢のお告げをもらうための、清められた床の間。神社の本殿の中みたいなのをイメージしてもらうと良いかもしれません)で、皇后となった長田の大郎女と昼寝をしていました。

 

ここにその大后の先の子目弱(まよわ)の王、これ年七歳になりしが、この王、その時に當りて、その殿の下に遊べり。

ここに天皇、その少き王の殿の下に遊べることを知らしめさずて、大后に詔りたまはく、「吾は恆に思ほすことあり。何ぞといへば、汝の子目弱の王、人となりたらむ時、吾がその父王を殺せしことを知らば、還りて邪き心あらむか」とのりたまひき。

 

このとき、皇后の連れ子だった目弱王(まよわのおう):7歳が、下で遊んでいました。

しかし天皇はそれに気づかず、皇后に
「私はいつも心配しているんだけど、君の子供の目弱王が大人になった時、私がその父を殺したことを知ったら、私に敵意を抱くんじゃないだろうか」
と話してしまいます。

 

ここにその殿の下に遊べる目弱の王、この言を聞き取りて、すなはち竊(ひそ)かに天皇の御寢ませるを伺ひて、その傍なる大刀を取りて、その天皇の頸をうち斬りまつりて、都夫良意富美(つぶらおほみ)が家に逃れ入りましき。

 

これを聞いた目弱王は、天皇が寝ている隙を伺って、かたわらに置いてあった太刀で天皇の首を斬ってしまい、ツブラオホミという豪族の家に逃げ込みます。

 

このツブラオホミとは、葛城円(つぶら = 円大臣)という名の豪族。

葛城氏といえば、建内宿禰を祖とし、仁徳天皇の皇后イワノヒメも輩出した名門です。

天皇を殺してしまった少年をかくまったのが、当代きっての名門豪族。果たしてこの事件どう転ぶのか、続きは次回。

この記事を書いた人
東京都北区王子でカフェやってます。