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【古事記入門】その54 市辺押歯王

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目弱王の変のドサクサで皇位継承のライバルを亡き者にし、うるさい葛城氏を弱体化させることにも成功した大長谷王(後の雄略天皇)でしたが、まだ邪魔者が残っていました。

 

それが、履中天皇の皇子である、市辺押歯王(いちのべのおしはのみこ)と御馬王(みまのみこ)です。

 

 

ちなみに歯並びの良い反正天皇は水歯分(ミズハワケ)と呼ばれていましたが、「押歯」とは重なり合って生えた歯、つまり八重歯のことだそう。

 

市辺押歯王

あるとき、近江に住む韓袋(からふくろ)という男が、「淡海(琵琶湖)のほとりには鹿がたくさんいるので、狩りに来てみるといいですよ」という情報を持ってきます。

 

この時市の邊の忍齒の王を相率て、淡海にいでまして、その野に到りまししかば、おのもおのも異に假宮を作りて、宿りましき。

 

そこで大長谷王は市辺押歯王と連れ立って淡海へと出かけ、それぞれ仮宮を作って一泊しました。

 

ここに明くる旦、いまだ日も出でぬ時に、忍齒の王、平の御心もちて、御馬に乘りながら、大長谷の王の假宮の傍に到りまして、その大長谷の王子の御伴人に詔りたまはく、「いまだも寤めまさぬか。早く白すべし。夜は既に曙けぬ。狩庭にいでますべし」とのりたまひて馬を進めて出で行きぬ。

 

翌朝、まだ日も昇らないうちに市辺押歯王は、何とはなしに馬に乗ったまま大長谷王の仮宮のそばにやってきて、大長谷王のお供の者に向かって「まだお目覚めにならないのか? はやく起こしてやりなさい。夜はもう明けたぞ。狩場に行きましょう!」と言って、馬を進めて先に行ってしまいました。

 

ここに大長谷の王の御許に侍ふ人ども、「うたて物いふ御子なれば、御心したまへ。また御身をも堅めたまふべし」とまをしき。

 

お供の者たちは、市辺押歯王が妙に早起きでテンションが高い、メンドクセエ人だと思ったのか、はたまた馬から降りもせずに失礼な人だと思ったのか
「なんか変わった感じの人だから、お気をつけ下さいね。自衛なさったほうが良いですよ」
と大長谷王に進言します。

 

ところが、何事も徹底的に、過剰にやるのが大長谷王という男。
自衛しろなどと言われたら・・・

 

すなはち衣の中に甲を服し、弓矢を佩ばして、馬に乘りて出で行きて、忽の間に馬より往き雙(なら)びて、矢を拔きて、その忍齒の王を射落して、またその身を切りて、馬棺(うまぶね)に入れて、土と等しく埋みき。

 

大長谷王は衣の中に鎧を着込み、弓矢を携え、馬に乗って出発すると、たちまち市辺押歯王に追いつき、弓矢で射落として、切り刻んで、馬の飼い葉桶に入れて、墓標も塚も作らずに平らに土に埋めてしまいました。

 

ホントにこの人は、1ミリでも口実を与えるとすぐ殺しちゃう。

 

オケ・ヲケの王

 

ここに市の邊の王の王子たち、意祁王(オケのみこ)、袁祁王(ヲケのみこ)二柱。この乱を聞かして、逃げ去りましき。

 

市辺押歯王にはオケ、ヲケという2人の息子がいましたが、この事件を聞いて自分たちも危険だと考え、逃走します。

 

かれ山代の苅羽井(かりはゐ)に到りまして、御粮(かれひ)きこしめす時に、面黥ける老人來てその御粮を奪りき。

ここにその二柱の王、「粮は惜まず。然れども汝は誰そ」とのりたまへば、答へて曰さく、「我は山代の豕甘(ゐかひ)なり」とまをしき。

 

山代の苅羽井(現在の京田辺市大住あたり?)まで出てきて、乾飯(ごはんを干した携行食)を食べようとしていると、顔に入れ墨をした老人が現れて、乾飯を取られてしまいます。

2人が「乾飯は差し上げますが、あなたは誰ですか?」と尋ねると、老人は「俺は山代の豚飼いだ」と答えました。

 

かれ玖須婆(くすば)の河を逃れ渡りて、針間(はりま)の國に至りまし、その國人名は志自牟(しじむ)が家に入りまして、身を隱して、馬甘(うまかひ)牛甘(うしかひ)に役はえたまひき

 

それから樟葉の川を渡り、播磨国のシジムという者の家に身を隠し、馬飼いや牛飼いの人夫として暮らすようになりました。

 

ちなみにクスバの川というのは「くそはかま」が由来の川でしたね。

 

オケ・ヲケの母親である荑媛(はえひめ)は葛城蟻臣の娘なので、この2幼王も大和の葛城邑に住んでいたんではないかと思われます。

 

したがって、逃走ルートはこんな感じでしょうか。

 

しかし改めて系図にしてみると、市辺押歯王やオケ・ヲケ王の血統はかなり色濃く葛城氏なんですね。大長谷王はこれを嫌った部分も多分にあったのかもしれません。

 

御馬王

市辺押歯王の弟、御馬王がどうなったかについては『古事記』には記述されていません。

『日本書紀』では、兄が殺されたのに危機を感じ、大和の三輪氏を頼りに訪問する途上で兵に囲まれ、つかまって処刑された、と記述されています。
その際、三輪の磐井の井戸に「ここの水は百姓なら飲めるが、王だけには飲めなくしてやる!」と言って呪いをかけたそうです。

 

 

 

こうして邪魔者をことごとく排除した大長谷王は、満を持して第21代 雄略天皇として即位します。

 

ライバルをあんまり殺しすぎちゃうのも、のちのちマズイことになるんですけどね・・・

 

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Comments from NEMber
珈琲ねむりや
2019-07-04 23:26:45ID:130321

>>kassy_nara::さん
それは縁がある! 前世だったんじゃないですか?
kassyさんのtwitterアカウント名もいつのまにかやんごとない感じになってるし、尊しや〜

kassy_nara
2019-07-04 19:30:05ID:130240

オケとヲケの二人の王子の話は播磨国風土記に出て来ますね! 二人の恋の相手の古墳が嫁の実家の側にあって、私の住んでる街に顕宗天皇の御陵があるのも何かの縁かもしれませんw

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xem決済で自家焙煎コーヒー豆売ってます。nemlogでは主に古事記と飯テロ記事を書いてます。クリプト歴ヲタ同好会員。
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