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岸和田市史年表から見る藩札発行と経済政策と時々だんじり

16.01
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クリプト歴ヲタ同好会

岸和田藩を追う上で、一番見やすい資料はないかと調べていたら岸和田市が編纂した岸和田市史年表というのがありましたので、今回はこちらの年表から出来事を抜粋していきたいと思います。

岸和田市史年表

https://www.city.kishiwada.osaka.jp/uploaded/attachment/24016.pdf

藩札発行とか岸和田藩がどういう経済的な動きをしていたのかが分かるんですが、なにより読みものとしても十分おもしろい

活字中毒者として今までなんでこんな面白い読み物を知らなかったんだろうと今更ながら後悔しています(と言うことはこれからいろいろと見ていくということです

 

まず岸和田城

岡部岸和田藩5万石ちょいの中堅大名の行った経済政策・出来事に岸和田なんでだんじりに関する記載を年毎に抽出していきます。

 

1660年(万治3) この年 作才村庄屋ら逃散する。

1661年(寛文1) 10月 岡部宣勝隠居し、行隆、封を継ぐ。5千石を弟高成に、2千石を弟豊明に分知
し、本知5万3千石となる。

1662年(寛文2)岸和田藩、初めて藩札を発行する。(全国で2番目)

1676年(延宝4)1月 岸和田藩、売田地請戻令を発布。 

       岸和田藩、藩札発行

1681年(天和1) この年 岸和田藩、藩札発行。

1682年(天和2)岡部行隆、大坂西本願寺にて朝鮮通信使接待役を勤める。

       岸和田藩、藩札発行

1686年(貞享3)岡部長泰、家中へ倹約等5か条法度を出す。

1692年(元禄5) この年 岸和田藩、藩札発行

1704年(宝永1)岸和田藩、大和川付替工事につき、手伝いを命ぜらる

1705年(宝永2) 8月 岸和田藩、領内村方へ百姓取締りのため11か条触書発布

1707年(宝永4) 10月 大地震により、岸和田城大手門前まで浸水。

1708年(宝永5) 11月 岸和田藩、木綿不作に付き、この年に限り年貢を減免する

1719年(享保4) この年 岡部長泰、大坂西本願寺にて朝鮮通信使接待役を勤める

1728年(享保13) 6月 岸和田藩、領内村方へ支配入用等について21か条触書を発布。

1730年(享保15)岸和田藩、藩札発行

1743年(寛保3)11月 岸和田藩、干鰯の高値売買・囲置きを禁止する。 

1745年(延享2)8月北町の茶屋新右衛門の提案で祭礼時に家々の軒に神灯を掲げはじめる。藩主 より両宮(岸城社・三の丸稲荷社)に大幟4本奉納、町方へ小幟と枠入り太鼓 を下される。町方  

       の子供らが紅の投頭巾をかぶり町中を廻る

1746年(延享3)8月城下の5町(本・南・堺・北・魚屋町)が「軽き引檀尻」に「作り物」を付け て出す。(檀尻の初見)

1747年(延享4)この年 岸和田藩、藩札発行。※藩札発行最後の記載

1748年(寛延1)5月 岡部長著、大坂西本願寺にて朝鮮通信使接待役を勤める。

       8月祭礼の城入につき、くじで町・浜の先後を決めるよう藩より命じられるも、 その後、先例通り町が一番に城入りするよう命じられる

1750年(寛延3) 9月三之丸稲荷神社祭礼に、引檀尻・神輿・太神楽等が出る。また藩主岡部長著 が相撲を見る。

1751年(宝暦1)この年岸和田藩領村々の願い出により、定免(じょうめん:一定期間、作柄に関わ りなく年貢率を固定する)実施。

1752年(宝暦2)8月岸和田御宮(岸城神社)祭礼に北裏町が神輿、中町・中之裏町・中之浜が引檀 尻、北大手筋が小檀尻、大工町が荷い檀尻を出す。

1758年(宝暦8) 5月 岸和田藩、冠婚葬祭に関して町方へ触書10か条発布。

1764年(明和1) 1月 岡部長住、大坂西本願寺にて朝鮮通信使接待役勤める。

1765年(明和2) 3月 岸和田藩、領内村方へ倹約令発布。

1774年(安永3) 2月堺奉行所が泉州鋳物師の株仲間結成を許可し、岸和田村の金屋佐吉が株仲間 に加わる。

1781年(天明1) 冬 河合村に築登池を築く。

1782年(天明2)8月 大鳥郡の一橋家領一揆につき岸和田藩出兵(千原騒動)。 

         岸和田藩、尾張・美濃・伊勢の川普請手伝役を勤める。

1784年(天明4)この年この年から、「かこひ檀尻」という、屋根は杉板に破風をつけ、蛇腹は墨や 紅などで塗り、すだれをかけた檀尻を四方から4人で担い、囃子・太鼓・三 味線・はちす

       り・鉦の鳴り物入りでにぎやかにねり歩いたという。

1785年(天明5) この年北町が大津から古い檀尻を借り、城門を通るために柱を仕替えて城内へ入れる。

1786年(天明6) 5月岸和田藩、領内浦々へ、魚類を貝塚の問屋へ売らず、城下へ積み廻すよう触 を出す。

1787年(天明7) 10月岡部長備、田沼意次の居城であった遠江国相良城の接収役を命ぜらる。相良 藩領であった磯上村が幕府領となる。

1788年(天明8) 5月和泉国中の村々が、干鰯価格の値下げ・堺繰綿延売買会所の廃止・菜種等の 自由販売・秤改め方法の改善・虚無僧の取り締まりを求めて、堺奉行所へ訴 願する。

1789年(寛政1)岸和田藩、檀尻が多くなり混雑するため、町・浜・村三所が申し合わせて6 月と8月祭礼に隔番に出すよう命じる。これに対し、町・浜・村は6月祭礼に は出さず、8月のみ隔

       番で出すこととする。

1791年(寛政3)8月 岸和田藩浦奉行伴丈右衛門、魚之棚川尻に波除けを築き船入場とする。 

1792年(寛政4)8月岸和田藩、祭礼の際に俄狂言を行うことは許可するが、着物に絹・紬を用い ることを禁じる触を出す。

1794年(寛政6) 3月岸和田藩、再度領内浦々へ、魚類を貝塚の問屋へ売らないようにとの触を出 す。

1798年(寛政10) 3月城下の5町が、近郷の商人差し止め、または、家別毎月1人ずつ人足差し出し を藩へ嘆願。

1799年(寛政11) 1月再び城下の5町が、近郷の商人差し止め、または、家別毎月1人ずつ人足差し 出しを藩へ嘆願。

1805年(文化2)岸和田藩、甲州・尾張・伊勢の川浚え役を勤める。

1808年(文化5) 8月藩より祭礼時の檀尻の城入りの先後について町・浜は隔年にせよとの命に対 し、城下の5町(本・南・堺・北・魚屋町)より、5町が先に城入りしてきた経 緯を述べて再考

       を嘆願する。

1816年(文化13)8月 岸和田藩、銀札改めを行い、増印のない銀札は不通用とする。

       10月岸和田藩、他領から領内へ商売に来る商人に対し、印札制度を設け不正商売 を取り締まる。
       12月 岸和田藩、印札を受けた他領商人に上納銀を賦課する。

1817年(文化14)6月岸和田藩、岸和田港を修築する。
         岸和田藩、岸和田浦と佐野浦に不正并売買直段改所を設置。

1818年(文政1) 12月幕府、本田への甘蔗植え付けを禁じ、これを受けて岸和田藩が領内に触を 出す。

1819年(文政2)11月 岸和田藩、物価引下令を発布し、諸色改所を設置する。 

1820年(文政3)春 佐野の食野家が岸和田藩への借銀を拒否する。

       8月 岸和田藩、藩政改革実施のため、領内庄屋10数人を掛庄屋とする。

       10月岸和田藩、領民1人1日銀2厘を賦課する新税(人別二厘掛手業料)実施を触れ る。財政改革のため新役所を設置。

         岸和田藩、家中の給米を半分とする半知実施。

1824年(文政7)土生滝村、檀尻を新調する。宮入の先後をめぐり阿間河滝村と争論。

1827年(文政10) 11月 岸和田城天守閣、落雷で焼失。

1828年(文政11)6月 岸和田藩、家中を18組に分けて財政再建策を検討させる。 

1829年(文政12) 1月岸和田藩、財政改革のため、大坂天満の商人大根屋小右衛門(石田敬起)を登 用、大根屋改革はじまる。人別二厘掛手業料廃止。

         岸和田藩、倹約令発布。改革年限中(天保2年まで)は檀尻を出すことを禁じ る。

1832年(天保3)8月 この年より、岸和田の町・浜・村が一緒に祭礼を行う。 

1837年(天保8) 2月 岸和田藩、大塩平八郎の乱につき大坂へ出兵する。

1841年(天保12) 1月 紙屋町地車(先代)できる。

1843年(天保14) 7月 岸和田藩、「郷中衣食住御定書」25か条発布。

1851年(嘉永4)3月 岸和田藩 幕府より日光御宮修復手伝を命じられる。 

1854年(安政1)2月 山直郷中村百姓、庄屋不帰依を申し立て、庄屋退役する。

1855年(安政2)6月 本町が檀尻新調を藩へ願い出、許可される。 

1856年(安政3) 8月 大北浜と中之浜が檀尻を新調する。

1858年(安政5)4月 岸和田藩、改めて甘蔗の本田への植え付けを禁止する。 

1862年(文久2) 8月 藤井村が古檀尻を購入する。

1863年(文久3)5月岸和田藩、庄屋および帯刀御免の者らの鉄炮・剣術稽古を許し、非常時には 村方百姓らを城下へ動員する触書発布。

       8月 天誅組の乱に際し、岸和田藩、河内に出兵。

1864年(元治1)岸和田藩、大坂に出兵し、今宮、阿倍野、住吉を警備する。

       岸和田藩、領内に質素倹約令を触れる。

       岸和田藩、堺表警固にあたる。

       岸和田藩、領内に「非常之節心得方」を触れ、浪人風の者が領内を通行した 場合の対処方法を指示する。

       8月 春木浦漁民が外国船が捨てたビール瓶を拾い藩へ届け出る。

1865年(慶応1) 3月 岸和田藩、領内の商人へ岸和田駅・信達駅の助成銀を賦課。

1866年(慶応2) 岸和田藩、河内国分村(柏原市)百姓一揆鎮圧のため出兵。 

       8月岸和田藩、時節柄につき、檀尻を出すことを禁じる。この年は太鼓台のみが 出る。

1868年(明治1)閏4月 岸和田藩、新政府へ7000両献金。 

       この年 岸和田藩、銭札発行。

1869年(明治2)岸和田藩、政府へ版籍奉還を願い出る。 

1870年(明治3)10月 岸和田藩、藩の職制及び士・卒族の家禄を改正。 

1871年(明治4)7月廃藩置県。岸和田藩を廃し、岸和田県となる。

 

ここまで抽出してなんですが

だんじりの記載多すぎやしないか?(そーりゃー

 

藩札の発行が岸和田藩政前半に偏っていて、中盤以降は倹約令と突然出てきた食野家の借銀拒否という内容から、定期的に商人から借銀して領内へ銀を回していたものと推測されます。

というか

 

半知であったり人頭税の導入など

藩政後半は財政火の車だったのは明らかですね

ここらへんは、他市の史年表とも見比べてみたいと思いました。

 

外国船の捨てたビール瓶をひろって藩に届けるとか、時代ですねえ(笑ったんですが


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クリプト歴ヲタ同好会
2018-10-09 22:24:32
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