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人はなぜ迷信を信じるのか? -客観性は二の次-

nem2.96xem (4) 481 3 2

 

人は

「○○は××だからである」

とか

「××すれば○○になる」

 

といったような物言いを非常に好むものである。

 

この記事のタイトルもそれを地で行っている。

なぜ?と来たら、〜だからと答える文章が続くのが普通であり、例に漏れずに以下もその形になっている。

 

これが生まれつきなのか学習による代物なのかはさておき、物事に対してその原因を求め、その説明の「それらしさ」が十分であると感じた時に「腑に落ちた」だとか「納得した」だとか、そのような快い感情を抱くと共にその物事について理解したつもりになる傾向が人にはあるだろう。

 

これは原因帰属と呼ばれる行為であり、また一般的に人は物事の原因帰属に動機付けられる、つまり「原因を知りたがる」ということが心理学において示されている。

 

この傾向の存在意義について、生まれつきという立場からアプローチするなら、例えば

「外界について理解することは、生物がその環境に適応する上で不可欠な要素である」

という見方ができるだろう。

 

(観念論、量子論的な世界観の話はともかく)

客観的な外界の事象についての情報を因果的に理解したり、それを法則化する事は個体の生存を助けることに繋がるはずである。

 

具体例としては

「火を焚いていれば猛獣に襲われる事を防げる」

と理解して、それに基づいて夜は火の側で眠るように心掛けていた個体の方が無防備に眠っていた個体よりも猛獣に襲われる確率が下がり生存率が上昇しただろう、という感じだろうか?

 

学術的な手法や法則、因果律という概念が存在しない太古の昔においても、経験の中、数々の試行錯誤やひらめきを経て生存に役立つ法則(のようなもの)は数多見出されていたと思われるし、上記の例ならば

 

「火を焚いていれば襲われない、なぜなら動物は火を恐れるからである」

 

というようなことを何らかの手段により共有知化できた集団が生き残ってきたからこそ、今を生きる我々もまた「なぜ?」という問いに対して貪欲であるとも言える。

 

加えて、卵と鶏の話のようであるが、そのような傾向を持った人間が構築してきた社会の中で生きているが故に、なぜ型の問について考えることを勧めるような教示があらゆる場面で行われ、各人がそこで学習させられる為に相乗効果が生まれ、更に貪欲さに磨きがかかっているのかもしれない。

 

さて、上記の理屈に沿って考えるならば、因果法則に基づいて生きるという選択は適応的であるはずなのだが、そのせいで生じる弊害というのもいくつか存在するだろう。

 

一つは、「法則への過信」である。

 

先ほどの例は、純粋な経験から生じたものであり、確かに一定の予測力はあるが、それが常に通用する保証はない。

 

人間にも暴走機関車のように後先顧みず突進する輩がいるのだから、当然、猛獣にも焚き火に突っ込んでくる個体はいるだろう。

 

しかし、焚き火を囲んでいれば襲われないという法則に深く納得し、これまでそれを実践して正のフィードバックを受けてきた人間の場合、法則に反する事が起きる可能性があるという事を受け入れるのは容易ではないだろう。

 

 

堤防を過信する人も、相場チャートに引いた線を過信する人も、想定外の結果に遭遇した時はよく「逃げ遅れる」ものである。

 

しかし、この弊害が現れるのはあくまで例外に出会った場合であり、法則の有益性自体が損なわれるものではないだろう。

 

故に、その法則が反証され難いものであるなら、信じ切って生きてもまず裏切られることはない。

 

「物体が上に落ちる」可能性は棄却できていないが、まずあり得ないから普通の人はそんな事を考えなくても大丈夫という話である。

 

 

しかし、二つ目に関しては事情が異なる。

 

そもそも、現実世界のあり方と異なる法則が信じられているケースである。

 

これがいわゆる迷信と呼ばれるものだろう。

 

原因が元の原因自体から乖離したり、また、原因自体やその上位に神のような存在が見出されそれが原因とされるようになったり、あるいは、もたらされる結果が本来は限定的なものであったのに、その範囲が拡大されたり、性質が変化したりすると、その法則は文化、宗教的な意義こそあれど、本来あった予測力自体が損なわれているので、「損失が回避できる確率が下がる(回避できなくなる)」、「得られる利益の総量が減る(得られなくなる)」、「目的は達成できるものの無駄な資源を消費してしまう」など、実生活における適応上の有益性は大きく毀損されてしまうだろう。

 

現実的に考えれば、火が猛獣の攻撃を防ぐという現象の原因なのに、火のそばにあった石ころを手にして猛獣に掲げても問答無用で喰い殺されるだろうし、火を司る神、あるいは全知全能の神に祈りを捧げても猛獣には何の効果も無い。

 

また、くどいようだが、火を焚いて防げるのはあくまで猛獣からの攻撃であるわけだから、火を焚いても洪水は防げないし、飢えも治まらないだろう。

 

 

有名な話だと、イスラム文化圏において、元々は食あたりで命を落とさない為の生活の知恵として豚肉が避けられていたが、今日では穢れとして忌避されているのもこれに当てはまるだろう。

 

なお、上記のものは経験的な正しい法則が時を経るに連れて変遷したものだが、そもそも初めから経験に端を発しない純粋に観念的な法則や、あるいは観念が先立って歪められた経験から生じた法則というものもあるだろう。

 

いずれにせよ、現実を正しく記述できていない。

 

我々が日々の生きる中で信じている(素朴なものも含めた)法則には、もちろん正しいと思われるものも存在するが、一方で二つ目のケースのようなものも数多くあるだろう。

 

今日、人々はそんなものに納得しないだろうと思う人もいるかもしれないが、実際のところそうとも言えないのではないか?

 

この自信は、現代人はあらゆる場面において客観的な因果律に基づいて世界を理解できているという妄想から生まれているのだろう。

 

これが真実だとするならば、初めの方で述べた

「それらしいと思う説明」

は、外界それ自体のあり方と完全にリンクしていないといけないわけだが...

 

実際は、ロハスなバカがEM菌やら水素水やらにハマっているし、本屋にコンビニ、朝のニュース番組にも荒唐無稽な占いの類が溢れているではないか?

 

なお、上記のように現実的には関係の無いもの同士があたかも関係があるかのように結び付いて認知されることを錯誤相関と呼ぶ。

 

水素水が人体の中で活性酸素を除去する効果があるというのは眉唾物であるが、その謳い文句を信じれば、本人の中では十分に「還元されて若返る感」が感じられるから納得するのだ。

 

(厄介なのが「病は気から」というように、実際は効果が無くとも心理的、肉体的なプラセボが生じる可能性があるため、そうなれば余計にその相関は強まるだろう。

それを差し引いても有意差が示された時に初めて「効果がある」と言えるのだが。)

 

 

以上から察するに、我々は物事の原因探求に貪欲である反面、そこに必ずしも客観的な世界と対応しているという意味での「正しさ」を求めているわけではないのだろう。

 

しかし、これは時代が進む中で生じたバグのようにも思える。

 

狩猟採集の時代においては、少なくとも今よりは遥かに単純な経験に基づく少数の法則を運用していただろうし、外からの相反するような伝聞知識により掻き乱されることもまずなかったのではないか?

 

故に、人間がそのような環境に最適化されているのであれば、そもそも現在のように経験則から書籍、TV、インターネットに至るまで多量の情報に常時触れさせられ、それを元にあらゆる事物について考えさせられる(考える事に動機付けられる)という状況に置かれた際、正しさが伴わない原因帰属を行なってしまうというバグが生じてもおかしくはないだろう。

 

 

ダンバーという人類学者が唱えた説に

 

「人間が、社会生活上で関わる中で詳細に認知できる他者の限界は150人前後である」

 

というものがある(ダンバー数)。

 

その数を上回る集団においては、構成員の相互コミュニケーションの齟齬など様々な弊害が生じるため、規則や罰、報酬といったような外圧やインセンティブを用いずに「人間同士の自然な繋がり」としてそれを維持することは困難になるとされる。

 

これは人数に焦点を当てているが、人数に限定せず人の認知機能全体の限界に起因するものとして考えてみると

 

「物事や情報に関して、個々人が適切に理解できる範囲、総量の限界」

 

があるとしても不思議ではないだろう。

 

だからこそ、能力的に守備範囲外の物事の根拠は占いや迷信、疑似科学で事足りてしまうのではないだろうか?

 

 

 

ところで、今調べたところ、本日の私のラッキーアイテムは自転車らしい。

先ほど転んで擦りむいて血塗れになったのにそれはないだろう。

ふざけるのも大概にしてほしい。

 

というわけで、全くそれっぽくないから信じない事にする。

 

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Comments from NEMber
物愚者
2018-11-13 22:03:11ID:8332

>>ZEM🐳ZEM:: 様
>>shinobu:: 様

お心遣い感謝します笑

shinobu
2018-11-13 21:49:47ID:8321

(´・∀・)つオロナイン

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