2018-12-23 07:28:13
>>7zoesan::さん
コメントありがとうございます。
私もハワイに行くたびに、環境や人の温かさに触れられることができ大好きです。
海外に行くと、日本人を歓迎してくれる国が多々あり、私が知らないだけできっと元年者のように、その場所でいろいろ頑張った日本人がいるのかもしれませんね。
今回は、私が仕事先で出会ったお話です。
突然ですが、皆さんは海外旅行先といえば、どこが思い浮かびますか?
ハワイですね(強制)
これが、メンタリズムです(違う)
そんな、みんなが大好きなハワイの島の一つ、マウイ島での話です。
ハワイといえば、親日の方が多いと考える人が多いと思います。
仮にそうだとして、なぜでしょうか?
マナーを守る?ごみを捨てない?時間を守る?etc...
もちろん、上記のこともあると思いますが、私がそれだけではないと思います。
そう慕われるほど、頑張った日本人がいるからです。
この話は明治時代まで遡ります。
幕府が倒れ、生活が一変した激動の時代。一部の日本人は新たな生活や新天地などを求め、海外に飛び出しました。
その中には、ハワイに移住した人たちもいます。
ハワイでは、そんな人達を”元年者”と呼んでいます。
今でこそ、ハワイといえばリゾート地のイメージがありますが、当時、元年者の生活はそんな裕福なものではありませんでした。
言葉がわからなければ、文化もわからない。
住み慣れた地元を離れ、会いたい人にも会えず、今のように気軽に日本に帰ることもできない。
後には、世界大戦を経て、捕虜にもされてしまう激動の時代を生きる元年者。
辛くて苦しい日々。
そんな中、元年者の中で一つの合言葉が生まれました。
「子供のために」
自分一人だと、挫けそうでも子供のために頑張ろう。
そうして、元年者の人達は奮起しました。
元年者の頑張りは、少しずつ実り、自分たちの生活を豊かにするだけではなく、街を作り、地元の方の生活をも潤したのです。
今でも、日本人が作った町は大切にされています。
そうして、元年者の合言葉は、自分の子供たちだけではなく、現地の人達にも伝わっていったのです。
ハワイでは、元年者移住から150周年を記念し、様々な場所でイベントが模様されています。
その中の一つとして、マウイ島では、”MAUI MATSURI”が開催されていました。
そして、そのMAUI MATSURIで私は、大きく掲げられた”KODOMO NO TAMENI”という、文字に出会い、現地で経緯を聞いて感動し、私自身に考えを逆輸入しました。
話は変わりますが、仕事って上記のような激動の時代でなくとも辛いことが多いですよね。
楽で性に合ってる仕事というのは、あまり多くないようにも思えます。
「だれもやりたくない」、「できない」
ことをプロとして行うことが多いため、当たり前といえば当たり前ですが。。
仕事について、父に質問したことがあります。その答えは「もちろんつらい」と言われ、その続きに、
「お前らがいるからな」
と、言っていました。
また、ほかに諸先輩方と飲みの場などでそんな話になると同じように渋い顔した後、
「ま、子供がいるからな」
そう言って、はにかむ姿は素直にカッコいいと感じました。
様々な考えがある今の時代ですが、日本を飛び出し、海外でも大切に紡がれたこの思いが、多くの人に伝われば良いなと考えています。
私自身も頑張ります。
未来の子供たちのために。
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